庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」(2016年)は、映画館で観ておけばよかったと悔やまれる映画の一つだ。
なんといっても映像が強烈だ。
※以下、若干ネタバレあり
中盤に、東京が火の海になる場面がある。
ここで、素朴な疑問を抱いた方もいたのではないだろうか。
「皇室は一体・・・?」と。
ゴジラの火炎で、千代田区、中央区、港区が壊滅したそうだから、皇居ばかりか東宮御所も無事では済まない。
事前に脱出していない限り、全滅である。
しかし劇中では、このことにまったく言及がない。「天皇が東京を脱出した」となれば、大騒ぎになりそうだが、そんな描写はない。
むしろ、閣僚らがヘリで避難するあたりのやりとりからして、皇族の避難などしていないように見受けられる。
そうしたことを考えると、この映画の中では「皇室は全滅した」と、そう受け取る方が無理がないように思えてくる。
(念のため申し上げておきますと、これは映画の内容をそのまま解釈するとどうなるかという仮定の話であって、筆者が皇室の断絶を願っているなどとは、ゆめゆめ誤解なさいませんように)
シン・ゴジラは、2011年の東日本大震災のイメージ抜きに語ることはできない。
菅直人首相(当時)は、東京電力福島第1原発の事故を受け、天皇をどのタイミングで避難させるかという考えが、つねに脳裏にあったという。
全国各地で起こる災害は、「もしこれが東京で起こったら・・・」という想像を呼ばずにおかない。
実際、東日本大震災のあと、東京都と内閣府が、それぞれ首都直下地震の想定を発表した。
その首都直下地震の何が問題かといって、被害の甚大さもさることながら、やはり「日本全土にダメージが及ぶ」ことが大きい。
政治機能も、経済も、マスメディアも、あらゆる中枢機能が被害を被る。そしてそれが全国に影響する。
それだけ、あらゆる機能が首都圏に集中してしまっているのだ。
そんな中で、ほかの業界よろしく、皇族もまた首都にお行儀よく集結してしまっているのである。
振り返って江戸時代、周知のように、徳川幕府には御三家なる制度があった。
これは、徳川宗家に後継者がない場合には、尾張家、紀州家という二つの分家から将軍を出そうというものであった(御三家のうち水戸家は別なのだが、詳しいことは省略する)。
言うまでもないことだが、尾張(愛知県)も紀州(和歌山県)も、江戸からは離れている。
江戸で何か大災害があっても、尾張や紀州まで同じような被害を被るとは考えにくい。逆も然りである。
つまり、何か災害があっても、それだけで徳川一族が全滅することはないように、そう設計されていたのである。
御三家だけではない。
江戸時代は、政治は江戸、経済は大坂、外交は長崎・・・というように、種々の機能が全国に分散していた。
現在のような「集中」とはまったく逆だったのだ。
今こそ、これに学ぶべきなのではないだろうか。
すなわち、現代の皇族の方々にも、日本各地に分散して住んでいただくのである。
京都でもいいだろう。
太宰府のあった福岡でもいいだろう。
出雲や、諏訪もいいかもしれない。
東北でもいいだろう。
いずれにせよ、分散することで、「一つの災害で皇室が全滅する危険」は、避けることができる。
しかし現状のように、男性皇族がここまで減ってしまうと、どう分散させるか考えるのは非現実的な部分がある。
分散させるどころか、今上陛下の後継者は、秋篠宮ご一家だけなのだ。
上皇陛下や、常陸宮殿下を、あれだけの老齢になってから他所へ移すというのは酷にすぎる。
せめて、現在争点になることのある女性宮家をどうするかだ。
もしそれが制度として確立した場合、女性宮家は東京以外の場所にお住まいを持つということは、検討されていいはずだ。
男系天皇の護持を説く人々からは、戦後の皇籍離脱で民間人になった元皇族の子孫を、皇族に復帰させようという案もあるという。
それが現実的かはさておくとして、それが実現するとしても、やはり東京以外の場所に居住されるのが適当だと思う。
東京一極集中の問題が指摘され、その打開が唱えられて久しいが、なかなか進まない。
そんな中で、皇族方が東京の外に住まいを移すことは、その緒になるのではないだろうか。
また、もし皇族の全国分散が実現した場合、それは地方の活性化の起爆剤になる可能性がある。
ご当地の宮様として、地域の人々に愛されるかもしれない。
もちろん、警備の問題がある。地方に住む皇室の方々の安全を、一体どうするのか。その予算は国が持つのか、それとも地方が持つのか。
具体的に考えれば、検討しなければならない課題は山と出てくるだろう。
しかしそれでもなお、皇族の全国分散は、その価値を失わない。
繰り返すが、それによって、「一つの災害で皇室が全滅する」という事態は、避けることが可能になるからだ。
もし実現すれば、平成・令和の時代のほうが、後世から不思議がられることだろう。
「なぜこんな当たり前のことが実施されていなかったのか」と。
(2019年6月18日)