◆「セックスって最高ね」という台詞
10代のころ、「愛と追憶の日々」(1983年公開)という映画をテレビで見た。
おそらくこの映画を見るには、精神的に未熟だったせいだと思うが、内容をほとんど覚えていない。
おぼえているのは、「セックスって最高ね」というセリフだけだ。
なぜこの台詞だけが印象に残っているのかというと、この台詞を言ったのが、若い時期などとっくに過ぎた中年女性だったからだ。(下の画像の右)
主人公の一人であるこの中年女性は、娘が成人したのち、ある男性と出会って恋愛関係になる。
そしてその喜びを語る場面で、その台詞が出てくるのである。(しかもそれを語る相手は、自分の娘である。)
この場面をみた当時は、違和感をおぼえたと言っていい。違和感を通り越して、不気味さのようなものだったかもしれない。
中年女性と書いたが、むしろ老境にさしかかっていると言ってもいい。それが、セックスの喜びを語るのだ。
童貞だった私には、この描き方が、果たして何を意図しているのか分からなかった。
この女性は、特異な例なのではないか?
それともまさか、よくある姿なのだろうか?
しかし、その後いくつかアメリカ映画を見るうち、うすうすながら気付き始めた。
「愛と追憶の日々」で描かれたような中年期以降のセックスは、少なくともアメリカ社会においては、必ずしも特異な例ではないようだと。
たとえば、名作「卒業」(1967年)だ。
主人公の青年は、母親の世代の女性と関係を持つ。もちろんそれなりの年齢である。
また、「アメリカン・ビューティー」(1998年)では、主人公の妻が、愛人との激しいセックスにふける場面が描かれる。
それはどこか滑稽な、多少見苦しいものとして描かれているが、異常な例としては描写されていない。
一方、「グリーン・マイル」(1999年)で描写されるのは、夫婦のセックスだ。
トム・ハンクス演じる主人公ポールは、ジョン・コーフィーの不思議な力によって尿路感染症の激しい苦しみから解放される。
その夜、ポールは妻を抱く。
嵐のような激しい愛の営みの後、妻が言う。
「一晩に4回もなんて、19歳の時以来よ」
ポールが「19歳の時以来」の精力を取り戻したのは、もちろんジョン・コーフィーの力によってだ。
しかし、それを受け入れる妻の方も、相当なものではないか。
「一晩に4回」で思い出すのは、「バニラ・スカイ」(2001)だ。
トム・クルーズ演じる主人公には、美しい愛人(キャメロン・ディアス)がいる。この愛人が、「(一晩で)4回した」と言う場面がある。
前後の文脈からして、この回数は、たしかに多いが、決して超人的なものではないようだ。
つまり「一晩に4回」という数字は、異常で非現実的な表現ではないのだ。
「恋に落ちたシェークスピア」(1998年)で、グウィネス・パルトロウ演じるヒロインは、恋の相手と初めての愛を交わしたあと、「第二幕よ」と言って2回目を求める。
さっきまで処女だったはずなのに、なんという積極性だろう!
「一日(一晩)の回数」について、国際的な比較が知りたいと思い、調べてみた。
しかし、十分に信頼できるデータは、インターネットでは見つけられなかった。
ただしその過程で、一年間の回数についての国際比較は見つかった。
引用元はこちら。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/2318.html
このデータによると、日本のセックス頻度は世界最低である。
そして明らかに、アジア勢は、欧米勢よりもセックス頻度が低い。
セックスの回数は、人種によって差があるのではないかと思えてくる。
セックスの回数が多いということは、それだけ射精する回数も多いということである。射精の回数が多い男性は、それだけ精子の産生能力が高いと考えられる。
つまり、セックス頻度の高い国は、国全体の精子の産生能力が、トータルで高いと考えられるのだ。
国際的に比較するならば、日本は精子の産生能力が低い国である。
そんな日本が、子孫を絶やさないためにはどうすればいいのか。
ここからは私見だが、そこで日本がとってきた戦略が、「一夫多妻制」と「離縁と再婚の自由」だった。
一夫多妻制によって、精子の産生能力の高い男性には、複数の妻を持ってもらい、子供を作ってもらう。このことは、男性の権利なのではなく、むしろ義務であった。一夫多妻制は、男性の性欲を満たすための制度ではなかった。
そして、離縁と再婚の自由によって、子供ができる夫婦のカップリングを図る。
かつて福澤諭吉は、日本の夫婦がしばしば離縁するのを、我が国の悪弊だとして問題視した。しかしこれは、子供ができなければあらためて別の男女とマッチングさせるための戦略の一つだった。
そして、今日の日本の少子化は、この二つの戦略を放棄したことにその原因がある、というのが私の意見である。
よく、出生率の回復を達成した国として、フランスが例に上がる。また男女平等を実現した国として、スウェーデンが取り上げられる。
こうした国を参考にするのはいいのだが、政策をそのまま模倣しても、効果は期待できないだろう。
それは、日本人と欧米人とでは、生物として根本的な差がある可能性があるからだ。繰り返し述べてきたように、まず精子の産生能力の差である。そして何より、恋愛への積極性や性欲そのものの差である。
「馬を水辺に引いていくことはできるが、水を飲ませることはできない」というたとえがある。
それと同じように、セックスしたいと思っていない人間に、セックスさせることはできないのである。
随分と遠回りしてしまった感があるが、結論に入る。
日本人のセックス頻度の低さは、欧米のその高さに比べてみると、もはや弱者と言っていいだろう。
日本人は、「セックス弱者」なのである。
「グリーン・マイル」や「バニラ・スカイ」で、一晩に4回という話が出てくると述べたが、日本ではそれができる男性は多くないだろうし、女性の側も受け入れられないだろう。人によっては、「4回目なんて、もはやレイプだ」と主張したくなるのではないか。
少子化対策は、そうした現実を直視した上で、施行されるべきだ。
今後、VRやAIの進化によって、ゲームやネット上で恋愛を体験したり、性欲が満たされたりする機会が増えていく。
そうすると、ますますセックス頻度は下がるだろう。
私の予想では、出生率は、これからさらに下がる。1.0を割り込む可能性も、ゼロではない。
まさに危機的状況だ。しかし、現在の日本には危機感がない。
(2019年6月14日)