大河ドラマ「麒麟がくる」を毎週見ている。
明智光秀を主人公にして、どう物語を描くのだろう・・・と、半ば怖いもの見たさのような気分で見始めて、今のところ毎週見ている。
見どころや触れたい部分は多いのだけれど、今回は将軍について話したい。
このドラマには、室町幕府の13代将軍、足利義輝が登場する。
演じるのは向井理さんだ。
今のところ、登場場面はわずかしかないが、その出で立ちがまことに美しい。
一部では「神々しい」と絶賛されているようである。
さて室町幕府と言えば、統治機構としては非常に弱体だったとされている。
将軍の力が弱く、大名たちを統制できなかったという。
この点について、私はつねづね疑問を抱いてきた。
権力などないに等しいにも関わらず、なぜ室町幕府は、15代・250年の長きにわたって存続したのだろう?
そんな長年の疑問に対し、最近ふと、一つの回答を得た。
「弱体なのに存続した」と考えるから不自然なのだ。
「弱体だからこそ、誰もそれに成り代わろうとしなかった」と考えれば、何も不思議ではない。
そもそも、「将軍は偉い」という感覚は、江戸時代のものだ。
戦国時代以前は、そうでもなかった。
最初の武家政権である鎌倉幕府において、2代頼家、3代実朝という二人の将軍が暗殺され、初代頼朝の血統が途絶えたのは有名だ。
将軍が殺されたというだけでも、当時の人々が将軍を絶対視していなかったことは明らかだし、その後将軍になった公家出身の将軍も、執権の北条氏によって追放されたりしている。
室町幕府では、6代義教が暗殺された。(嘉吉の乱)
13代義輝も、謀反によって討ち死にする。(永禄の変)
その他の将軍も、敵から逃れて京から退去したりしている。
最後の15代義昭は、織田信長によって京を追放され、ついに復権することはなかった。これが室町幕府の滅亡だとされている。
将軍の地位は、神聖不可侵でもなんでもなかった。
まるで一大名か、時にそれ以下の勢力であるかのように、普通に他の大名と争う。
そして、負ける時は負けている。
将軍は、地位こそ上だが、扱いとしては武家の一つに過ぎなかった。
将軍の地位は、神聖でも絶対でもない。
それでは、幕府というのは、一体何なのか。
幕府とは、要するに「有力大名の連合体だった」ということである。
鎌倉幕府からして、源氏の御曹司である源頼朝という(格上の)人物を担ぎ上げることによって、東国の諸勢力が連合したというのが実態だったろう。
将軍とは、武家の連合の象徴だったのだ。
しかし、武家は一見連合しているように見えても、裏では誰もが自己の権力拡大を狙っており、そのために将軍を利用しようとする。
その過程で、諸勢力にとって都合の悪い将軍は廃されたり、追放されたりしたのだろう。
つまり、将軍の地位は、「その時の権力者の承認」に依存しているのだ。
有力大名が結束して将軍を祭り上げる限り、将軍は安泰である。
しかし有力大名たちが権力闘争を始めれば、将軍はそれに巻き込まれてしまう。
そんな不安定な将軍の地位に、誰が成り代わろうとするだろうか?
室町幕府が存続したのは、将軍に実権がなかったからこそなのだ。
「武家の棟梁」とは名ばかりで、実権を持たなかった将軍。
鎌倉・室町の両幕府の姿を、他山の石としたのが、徳川家康だった。
江戸幕府を見ると、過去の幕府との明確な相違点が三つある。
まず、将軍家を神格化した。
周知のように、家康は東照大権現として、日光に祀られている。
次に、有力大名を幕政から排除した。
石高の大きな大名は、金沢の前田家にしろ、薩摩の島津家にしろ、仙台の伊達家にしろ、幕政に参与できなかった。
こうすることで、将軍は、有力者の傀儡となることを免れた。
そして最後に、徳川家を、名実ともに「最大の大名」とした。
俗に言う「八百万石」というのは誇張だとしても、徳川家の所領は飛び抜けており、まさにダントツであった。
この三点によって、江戸幕府の将軍は、ついに絶対の存在となりおおせた。
つまり、「将軍は偉い」と誰もが認める存在になった。
そこから振り返ると、室町幕府の足利氏は、自らを絶対視させるような材料に、非常に乏しい。
江戸時代の将軍に比べると、信じ難いほどの侮りを受けていただろうと思われる。
前述したように、13代将軍の足利義輝は、謀反によって討ち死にする。「永禄の変」である。
伝説によると、自ら武器を手にして戦い、ついに敵の刃にかかるという、壮絶な最期だったという。
これが、大河ドラマの中でどのように描かれるのかは分からない。
ただ、キャストビジュアルの甲冑姿、そしてそこに添えられた「悲劇の剣豪将軍」という文句からして、その最後の奮戦が、ドラマチックに描かれるものと期待できる。
ドラマ前半の山場になるかもしれない。
楽しみだ。
(2020年3月6日)