先日、旅行へ行った。歩いた時間の半分は、誰かの腕の中、肩の上で過ごしたであろう我が子。
いつも寝起きが悪く、布団からリビングまで抱きかかえられながら移動する娘。
公園やショッピングモールを20分も歩けば、「疲れた。抱っこ。」とぐにゃぐにゃになる娘。
こんな調子が続けば、さすがに私も文句を言いたくなる。
いいか!?こうやっておんぶや抱っこをして貰えるのも、せいぜいあと1年かそこらだからな。覚悟しとけよ!
簡単におんぶとか抱っことか言って、当然のようにやってもらってるけどなァ。1回1回感謝して!味わって抱っこされるんだぞ!まったく!
最近では娘が抱っこをねだる度に、こんな言葉をぼやきながら重たくなったその体を抱き上げる。
歩けば簡単に泣き言を漏らす娘と同じかもっと早いぐらいに、私の肩や腕の筋肉が悲鳴を上げるようになってきた。あれれ…?前はもっと抱えていられたのに…。
大きくなったなぁ。
こうやっておんぶや抱っこをして貰えるのも、せいぜいあと1年かそこらだからな。
そうか…あと1年かそこらしか、私はこの子を抱っこしてやれないのか…。
それは、私の肉体的にも、娘の世間体的にも、互いの精神的にも、避けては通れないことだ。
娘に向けたはずの言葉が、私の中でこだまする。
当然のようにやってもらってるけどなァ。1回1回感謝して!味わって抱っこされるんだぞ!
首に手を回し、しがみついてくるこの頼りない力を、腕にのしかかる体重を、温かい体温を、あとどれだけ感じられるのだろう…。
幼い我が子に、安心を、温かさを、思い出を、抱っこやおんぶを通してあとどれだけ与えられるだろう…。
そうだ、この小さな娘を、胸に抱えてやれる喜びを、愛しさを、感動を、1回1回噛み締めなければ…
あと何回、何時間、何分、この子を抱っこしてやれるのだろう…抱っこさせてもらえるのだろう。
腕を差し出せば、当然のように手を繋ぎ、小さな手で握り返してくれるこの関係は、いったいあとどれぐらい続いてくれるのだろう…。
乳児は幼児へ、幼児は学童へ、学童から思春期へ…
もうこれ以上、大きくならなくていいんだよ。
毎日そう祈りながらも、すくすくと成長は進む。
今は大きいこの背中も、掌も、いつか小さく感じられてしまうんだろう…。
君はいったいどんな大人になるんだろう
私は君の記憶の中に、確かな父親として残ってやれるだろうか
私は君を記憶の中に、確かな愛しさとして、その重さを、温もりを、残してやれるだろうか
君と私のおんぶと抱っこ
残された回数は、たぶん、少ない
残してく思い出は、たぶん、たくさん