Discordで何度も話して、見知らぬ味方もひとりいてくださったが、
最終的には、私企業のすることだから仕方ないでしょという意見に囲まれて、
私が撤退した件がある。
その時、私が一番言いたかったのは、
ミュート機能の表示ロジックへの活かされ方の後出し性だった。
私の主張は、ミュートは、見たくない人が見ない権利の行使であって、見たい人からも見えなくする理由にはなりえないというものだった。
それは、私がいいねによるオススメに殆ど出なくなった時の議論だった。
そもそもミュート機能はアリスに存在しなかった。
私は自分への、あるユーザーからの誹謗中傷コメントが続いていた時期に、ブロック機能は必要ではないかと提案していた。
その矢先、運営からミュート機能は検討しているという話がでた。
私はブロック機能が望ましいと思っていたが、ミュートもないよりはマシだと思って反対しなかった。
ただ、それはあくまでも、個人間での迷惑行為防止機能としてだった。
が、そのうち、ミュート数が多い書き手の報酬が減額されることを念頭に、ミュート機能の実装が計画されていることが明かされ始めた。
私が考えていた迷惑行為防止機能ではなく、評価ロジックの一環として用いる計画らしかった。
この噂を聞いたユーザーたちは、ミュート数によって不利になるのは自分かもしれないと冗談交じりに?怯えていた。
その頃、
実際にミュートがどのように使われ誰がミュートされるのか、しばらく観察した後に、
その評価ロジックへの活かし方を決めるという計画も明かされた。
さて、蓋を開けると、たくさんミュートされたのは、投稿数が桁外れに多く、特定フアン?の基礎票で、そのことごとくがある程度のアリスを稼いでいるあびだった。
あびは単独記事がバズることは、少なかった。
人類初、アリス払いで食事したという記事や、アリスの誰かに会ったなどの記事は票が伸びたが、
ふだんの評論や小説などは特定の読者+αしかいなかった。
もともとアリスの伝統的環境は文芸分野にはあまりなじみがなく、
文芸系の書き手の多くは短期間でアリスでの活動の限界を感じて、他のサービスに移動または帰っていくことが多かった。
もともと、私自身、出版不況の中、紙の本からnoteにやってきて、色々実験し、それなりの売り上げや投げ銭を得ていた。
そんな中、その時期のnoteで私より稼いでいた先輩から、アリスはいい、読者が円を用いずともいいねで仮想通貨が得られると聞き、実験的にアリスにやってきた。
が、その先輩自身がやがてアリスでの活動に限界を感じ、noteに戻っていった。
また何名か、文芸分野のまずまずの実力をもっているはずの人物がアリスとの相性の悪さを覚えたのか、noteになどに鞍替えしていくのを指をくわえて見送った。
私はフアンや友人をアリスに誘い、何名かはすぐに撤退したが、じょじょに定着していく人も増え、自分の記事に基礎票がある状態を構築することに成功した。
文芸というニッチな分野(カテゴリー総選挙でも早々に敗退)で長生きできたのは、ひとつにはそのおかげがある。
また、アリスに存在するカテゴリーにも積極的に大量の記事を書いた。
グルメやビューティ、クリプト、とうとう漫画まで描き始めたのを覚えておられる方もおられるだろう。
またアリス関連記事は、基礎票+αのαの部分が多くなるのも経験してきた。
だが、とにかく、あびという人物は、記事数と基礎票で稼いでいるという印象が強く、一部に反感を買っていることは気づいていた。
だが、読者が10名でもいる限り、続ける価値はあると思って続けていた。
それが立ち位置であり、そんなやつがいても、アリスはそれを包含して発展していくサイトだと思っていた。
しかし、「報われるべき人が報われるロジックを」という言葉が標語のように踊り始めたとき、うすうすは、あびが稼ぎすぎ、そこからもっと古参とかコミュニティの中心にいる人々に配布率の重心を移していきたいという意味だという気はしていた。
さて、ミュートも結局はその布石だったのである。
ミュート機能が実装されると、あびが多くミュートされるのを観察してから、
その評価ロジックへの活かし方が工夫され、実装された。
具体的にはミュート数の多い人の記事は、いいねがカテゴリーなどで一位や二位でも「いいねによるオススメ」に上げないという体制である。
この体制により、かなり不利な条件になった私は、
ミュートは迷惑行為防止機能であり、見たくないという意志表示をしていない人にまで表示されないのはおかしいという主張を繰り返した。
しかも、その実装は、誰がミュートされるか観察してから、結果的には私個人を最大に不利にできることがわかってから導入されたのは、「後出しだ」と繰り返し主張した。
が、やがて、その主張の繰り返し自体がうっとおしいものと扱われているのを感じ始めた。
私企業だし、実験中、探求中で、運営もいろいろ探っているところだ。
イヤなら他へ行けばいいという声に囲まれた。
ロジックの名のもとに、実質的には私を個人標的にして不利にしたという主張に賛同してくれ、私以上に私の肩をもってくださった謎の人物も一名いた。
が、私のフアン、友人たちもDiscordまでは手が回らず、またアリス全体の運営に関することに興味は特になく、ただ私の記事自体を読みにきている人たちに、
「Discordにも来て応援してくれ」とまでは私は言えなかった。
Discordの敷居の高さというものがそこにあったと感じている。
そして、Discordでの多数派は、私が「ミュート数により、ミュートしていない人にも見えなくするのはおかしい」という主張を繰り返していること自体、うっとおしいという反応が強くなってきた。
結局、私は「私企業だからやり方は自由だ」という意見におされ、Discordでの消耗戦から降りて、新体制の中で工夫してやっていくことにした。
まあ、たとえば漫画を描くなどの新機軸や、「いいねによるオススメ」に出なかったが比較的人気のあった記事のマイニング記事のアップなどなどである。
いろいろしていくうち、結果的には私の収益は大幅減にはならなかった。
過疎や、新機軸、長文をちゃんと読んだうえでのいいねなどの効果もあり、むしろ少し収益が増えてきたかもしれないと思えるほどだった。
また記事のストックは膨大なものに及んでいたため、新しいフアンや友人がアリスを始めてくれたとき、過去記事を時間をかけて読んで順にいいねしてくれるなどの活動もあり、収入増につながったと感じている。
一方、もともとの友人ではない新規参入の方々と、瞑想やUFOなどの話題で繋がったり、アリス内で新たに、よく僕の記事を読んでくれる人もじょじょに増えはじめたのも、ありがたかった。
もともとのフアン、友人は既にもっていた紙の本も、アリスで出会った人はもっていないので、買ってもらえるケースも増えてきた。
それらの本は実は古本セドラーにとっては売れ筋なのだと、データをもとにありがたい証言をしてくれるその道のプロの方も現れ、自信の回復にも援護射撃にもなった。
このころが僕が連れてきたフアンだけでなく、アリスで出会った人たちと一番幸福な状態を過ごせた時期だったかもしれない。
そういうわけで私の収益は「いいねによるオススメ」に表示されないだけでは減らなかった。
が、それなりに機が熟していたり、
これは稼ぎすぎだろうというような事象が起こったり、
過疎化の中でますます、あびだけが目立ったりする中、
不正疑惑での通報の検討に意識が向いた人がいたり、連動して?ミュートする人が増えたりしたのであろう。
次の危機がやってきた。
運営は次の閾値を超えたとして、さらに
カテゴリー別オススメにも新記事にも表示されない、相当する投げ銭があってもランキングには表示されないなどの措置を実装した。
またちょうどそのころ、通常の評価ロジックにもまた変更があったようなので、それとの関連がやや不明なのだが、とにかく、私の記事はいいねがついてもほぼ0評価になった。
全体の評価ロジックが変わったといってもここまで極端に変わったのは私だけと思うので、これもやはりミュート数(+通報数?)の閾値を超えているという理由が少なくとも大きく関係している処置だと思う。
ここに至って、私にとってはついに、アリスはこちらの工夫によってなんとかなるレベルを超えて、ほぼ、いても仕方ないところになった。
以上が私に関する全体的経過である。
私は今でもミュートは、見たくない人が見ないための機能であり、表示や評価との連動はおかしいと思っているが、私企業だからロジックは企業側が決めるものという論理との闘いは消耗戦にしかならないと考えた。
しかも、正直、最大限に自分の都合のよい?ようになったとしても、たかが知れている小さな世界、小さな収入ということもあり、他の多くのアリスを去っていった文芸分野の人物と同じように、
アリスに敗れるというよりは、アリスを見捨てる、まあ、中をとって穏健に言えば、相性が合わないと認めるしかないのかと考えた。
ちょうどいい機会かもしれないので、noteに重心を移したり、出版不況の紙の本の業界に再チャレンジしたり、鞍替えしつつ、過去記事のストック場所、新記事の下書き場所などとしてだけ利用しようかと考えていた。
(これは言っておきたいのですが、過去記事の消滅を伴う強制退会が予告なしに行われることだけは、私には許しがたい暴挙であり、その場合は、損害賠償に関する法的措置を検討します。最悪のケースをわざと言いますが、何らかのロジックによって強制退会と決めた場合でさえも私個人には過去記事がストックとして利用できるものとして残らなければ知的財産所有権の一方的はく奪と考えます。)
だが、現在の処理を殆どあきらめるにしても、現況だけは書いておこうと記事を出したら、思いもかけず、西原さんが大々的に批判を展開していただけた(ありがとうございます)ので、今の事態に発展した。
以上、説明だけはしておきたいと思いました。
なお、私は今後noteに重心を移していく予定ですので、記事そのものにご関心がおありの方はこの騒ぎとは関係なく、noteをフォローしていただければ幸いです。
追伸
西原さんの記事へのalismanさんのコメントに、「スポーツ選手を記事にしたパブリシティ権の侵害」が不適切なユーザーである理由のひとつとして取り上げられていました。ご指摘ありがとうございます。近々で思い当たる本田真凛さんの記事をとりあえず下書きに戻します。折りを見て、卓球関係なども下書きに戻していきたいと考えます。
しかし、私はそれについて何の警告も受けていません。もしそれが問題ならその記事単独を下書きに戻すことはやぶさかではありません。
通告関係については、なぜ問題点を本人になんら言わず、いきなりなんらかの措置をとるのかが疑問です。
記事へのコメントができない措置を受けているのでここに書きました。
関連して思い出しましたが、なぜ人の記事にも自分の記事にすらコメントできなくする必要があるのか、何を守るためなのかも、説明を受けていないと思います。
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