長い文章は読まれないと観念しての分解。その2。
墨子の思想はすべての地上の権威を相対化する次元へとまっすぐに進んだ。
孔子は常識を重んじる改良主義者であったが、墨子には論理的に思想を純化していく傾向があったのである。
それゆえ彼の「兼愛思想=兼くたがいに愛して交あい利するの法」は、汎愛主義、非戦論として徹底したものとなった。
「人の国の為にすること、その国の為にするごとくなれば、それ誰か独りその国を挙げてもって人の国を攻むるものあらんや。かれの為にするものはなお己の為にするごときなり。」(「墨子」兼愛下篇)
現代語訳
「他国のためにするのは自国のためにするのと同じように考えれば、誰が自国の兵を挙げて他国を攻めるだろうか。そのような者はいなくなる。だから相手のためにすることは結局自分のためにしていることになるのである。」
人は墨家のような汎愛主義・非戦論が流行するのは、平和ボケの時代のみであると想像するかもしれない。
だが、事実は逆で、墨家思想が最も広がりを見せ、儒家思想とその勢力を二分していたのは、実は戦国時代なのである。
超越性の運動がラジカルとなるのは、危機的状況の中で裸の個人がぎりぎりの覚悟で究極的なものに向き合うしかなくなる、その時なのである。
だが、墨家思想は漢代以後急に凋落する。
儒教が漢の国家の正統の学問として公認され、諸子の思想はすべて異端とされたのである。
国教となり異端を排除する側になったとき、儒教は絶対性宗教としての性格を帯びることになった。
不徹底ながらも超越性の運動であろうとしたものが、固定化・絶対化する段階へと入ったのである。そしてその体制は一九一二年の革命まで続くのである。
ただ留意しておきたいのは、超越性の運動として不徹底だった儒教(およびそれを中心にした中国思想の流れ)は、絶対性宗教としての性質もまた不徹底だった点である。
周囲の異民族を従えその頂点に君臨する「中華」という思想の「壁」は色々な意味で厚かった。
(引用終わり)
後出しジャンケンみたいな考察だけど、
国家の正統性の学問としての儒教の土壌への共産主義の導入は最悪の組み合わせ。
もうひとつの中国大陸の可能性であった墨家や老荘が土壌となり、共産主義と組み合わさったらどんな展開だったろうか? とたまに思う。