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魂の螺旋ダンス 改訂増補版 (19)
・ 日蓮思想の絶対性への傾斜
日本における超越性宗教の誕生としての鎌倉仏教を概観するとき、時代の流れとともに、(1)法然(2)親鸞(3)日蓮、一遍という三段階のプロセスを観てとることが可能である。
(1)の段階の特色は、超越性への確かなベクトルと同時にある種の「豊穣性」が感じられる点である。
(2)の段階では、その超越性運動は可能な限り研ぎ澄まされる。その分、「豊穣性」は失われていると言えるかもしれない。
そして(3)の段階では、その研ぎ澄まされた超越性を踏まえて早くも「絶対性への傾斜」が感じられる。超越性原理を絶対的なものとして固着し、再び権力と結びついていこうとする傾斜である。
ここでは日蓮を通じて、この「絶対性への傾斜」について考察しておきたい。
もとより、日蓮の打ち立てた思想は、単なる国家仏教的なものではない。
彼は「天神七代地神五代人王九〇代の神と王とすら、猶釈迦仏の所従なり」(『妙法尼御返事』)というように、仏法が王法を超越していることを明確に表現している。
また東国の荘官クラスの出身だったはずの日蓮は「安房の国海辺の旃陀羅が子也」(『佐渡御勘気抄』)と名告りを上げている。
この言説を空海の「我および旃陀羅に非ずは、所謂旃陀羅悪人なり。仏法と国家と大賊なり」(『性霊集』)という言葉と比べるとき、その差は歴然としている。
日蓮においては、社会の最底辺にあるものが個的な回路を通じて直接、超越性原理(仏法)に繋がっているのである。
そして、それは「民衆の大地」から涌きき出してきた菩薩のイメージや、「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(『諸法実相抄』)という宣言にも結びついている。
だが、日蓮が法華経の超越性をあまりにも固定的に捉えたところから、その「絶対性への傾斜」は始まっているように思える。
法華経はもともと自らを最高の経典と謳うために多くの文言を費やした経典である。
思想的内実よりも、法華経の超絶性(超越的絶対性)を宣言することに多大なエネルギーがそそぎこまれている。
だからこそ、お題目は経典への帰依を意味する「南無妙法蓮華経」であることには必然性があるのだ。
この経典自体の超絶的性格は、地上的権力の相対化という意味では、深い意味があった。
だが、絶対性への固着という難が生じやすいという性質は、法華経自体が有していたというべきであろう。
こうして「真言は国を亡ぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊」(『諫暁八幡抄』)というように仏教の他宗派に対しても、日蓮が徹底的に戦闘的な姿勢で臨むのは周知のところである。
また天変地異や蒙古襲来などの国難が迫る中、日蓮は預言者的性格を強めていく。 国立戒壇を創設し、日本を法華一乗の国家と為したいという日蓮の夢は、結果的に国家至上主義的な思想とも結びついていく。
「それ、この国は神国なり」(『十一通書状』)「八万の国にも超えたる国ぞかし」(『神国王御書』)と発言するに至っては、次章で検討する絶対性宗教の特色を既に身にまとっているというべきであろう。
ひとたび乗り越えられたはずの国家と、超越性原理(仏法)の名のもとに再び結びつき、しかもそれを今度は普遍的な世界原理として、国家の外にも押し広めようとするとき、そこに絶対性宗教が誕生するのである。
その際、仏国土としての全世界が帰一する中心機関として構想されていたのが、実は国立戒壇なのである。
日蓮思想の絶対性宗教への傾斜が、愚かな国家主義者によって利用される危険性は今なお払拭されたわけではない。
・マルクスによる自己疎外からの解放論
マルクス主義は二十世紀の世界を席巻した。
もちろん、それには高い理想が掲げられており、また王政や他国の侵略からの解放など積極的された思想は、瞬間瞬間更新される覚醒による超越性と、深い根源的解放の世界を謳いあげるものだった。
後に、その当人の思想が固着を起こしたり、後継者が教条的なものに変質してしまうという点も、他の思想と共通している。
超越性宗教の絶対性宗教化である。
ではマルクスが本来、表現しようとしたコミュニズム(共産主義)とはいったいどのようなものだったのか。
そのことをピンポイントではっきりさせておこうとするとき、主著であるとされる『資本論』よりも、若き日に書かれた『経済学・哲学草稿』がその思想の一番根底のところを鮮明に表現しているということができる。
今しばらくこの書によって、マルクスの思想の根源に思いを馳せてみよう。
驚いたことにマルクスはその最初から、共産主義が物質的な配分の均分を目指すだけでは不十分で無意味であることや、専横的な国家による政治的なものである限り、その目指すべき姿ではないことを看破していた。
共産主義を大きく三段階に分類し、その各段階の特徴を叙述し、その最終段階が真の「自己疎外からの解放」であることを早くから表現していたのである。
共産主義(1)
マルクスの思想の根底として重要なのは私有財産という(他の生き物にない)人間特有の観念の批判にある。
人間は、私有財産という観念に囚われ、そのことを通じて自然や自己自身から(もっと言うなら今ここに満ちあふれる限りなき働きから)自己疎外されていると考えていたのである。
共産主義とは、その私有財産という観念を止揚し、今ここにおいて全面的に自己解放されることでなければならなかった。
しかし、共産主義の最初の段階では人間の意識の自己変革がそこまで及ぶことはない。
そうではなく、ただ「労働者の仕事は止揚されないで万人の上に拡大される。」つまり、労働者の在り方が変わり、自己疎外から解放されるのではなく、全員を資本主義下の労働者と同じ存在にすることによって、「平等」を実現するに留まってしまうのである。
それは「私有財産として万人に占有されないあらゆるものを否定しようとする」。 ある意味、私有財産という観念に強く囚われたままである。
そのため私有財産を共有財産にしようとするが、対象の物質的「占有」という性質は変わっていない。
結果、そのような物質的な次元に留まらない人間の諸能力については「暴力的なやり方で才能等を無視しようとする」。
これが、文化大革命などにおいて、典型的に生じたことである。
またマルクスは、そのような共有財産に対する態度が極めて物質的な「占有」しか意味しないことは、男性の女性に対する態度に典型的に見られるとする。
「結婚に対して女性共有」「人間の人格性をいたるところで否定する」「妬みや均分化を完成したものに過ぎない」。
そのことが、結婚を女性共有に変えるという考え方の中に顕著に露呈しているというのである。
いずれにしろ対象のすべてを物質的にだけ見て均分化するだけなのが、この共産主義(1)である。
ルドルフ・シュタイナーの社会有機三層論は、法的平等、文化的自由、経済的友愛を説くことでマルクスに対抗したと言われることがある。
その場合、マルクスが三領域のすべてに平等を当てはめようとしたとする誤解が前提にある。
しかし、すべてを物としてしか見ずに、それを均分化することは、なんら私有財産の超克でも、自己疎外からの解放でもないことを指摘し、「粗野な共産主義」を批判していたのは、マルクス自身なのである。
このことを忘却し、マルクスが「粗野な共産主義」を提唱していたに過ぎないと考えることは、その後の専制的な国家共産主義、現在の共産主義への漠然とした嫌悪感の深い原因となっている。
共産主義(2)
その次の段階の共産主義についてマルクスはa、bに分けて次のように叙述している。
「a 民主的にせよ専制的にせよ、まだ政治的性質を持っている共産主義」
「b 国家の止揚をともなうが、しかし同時にまだ不完全で、まだ相変わらず私有財産すなわち人間の疎外に影響されている本質をもっている共産主義」
現実の世界には、(2)のaまでしか登場しなかった。
しかも民主的でなく専制的なものまでしか登場したことはない。理念的には、インターナショナルな共産主義bは目指されてはいたが、現実的にはaしかなかった。
しかも、マルクスの考えでは、共産主義は、国家を止揚するだけでは全く不十分である。
マルクスは共産主義を、(人間だけが持つ)私有財産の観念からの解放=人間の自己疎外からの解放であると考えていた。