承前
ぼくはすっかりしょげかえりながら教室に入っていく。悪い癖が始まり、僕はまたネガフィルムの世界へ意識をチェンジしてしまう。
席をまばらに埋めている学生たちの背中が透き通る。
僕はぐるりと見まわして、先週からの一週間の間に胸の一つ目が開いたやつがいないか、探る。
いた。
目と目が合った。
ひとりの男が胸の一つ目でこちらを見つめ返し、それからゆっくりと物質的身体ごと振り返る。
さてエーテル界でのアイコンタクトを続けるか。物質界で会話をしてみるか。
ところで、ここでひとつ読者の皆さんに解説をしておこう。
僕はかなり特殊なタイプの人間(いわゆる「えすぱぁ」)であり、それゆえに僕においては、胸の一つ目も顔の両目も両方とも意識の掌握下にある。
しかし、ほとんどの人間においては、自覚が行き届いているのは眼耳鼻舌身意の六識のみである。たとえ、胸の一つ目がぱっちりと目を開けている時でも、その目は彼の無意識とつながっているだけで、彼自身はそれに気づいていないのである。
だから僕は彼に気づかれることなく、このまま彼の無意識の目と接触し続けることもできる。あるいはその世界の出来事にいっこう無頓着な物質的身体の彼と会話をすることもできるわけなのである。
この場合、僕は後者を選ぶことにした。
「あれ、前にどこかで会いましたか?」
こう話しかけてみたのである。彼は怪訝そうに僕を見返す。
「いいや、知らんなあ」
「じゃあ、思い違いかな」
「そやろ」
彼はそう言ってまた前を向いてしまった。僕は急にいたずらな心が起こってきたので、少しからかってやることにした。
胸の一つ目で挑戦的に彼の一つ目をにらみつける。物質界ではこれを「メンチを切る」という。
物質的な彼は振り返った。もちろん無意識のうちにである。
「あれ、やっぱりどこかで会いませんでしたか?」
「いや、そんなことないで」
「でも、なんだか先ほどからあなたは僕のことを気にしていらっしゃるみたいですが」
「気になんかしてへん」
「でも何度もこちらを見るでしょう」
「他のやつ、待ってんねん」
彼は言い訳を言うのだった。実は、彼自身もこれが言い訳だということに気づいていない。ただ、彼は自分自身の不可解な行動に対して、自分の理性に平衡感覚を取り戻させるために、とっさに防衛的にこの言い訳をひねり出したのである。
そしてそれ以降は、彼自身、すっかり友達を待っているつもりになるのだった。たぶん、この授業に知っているやつが来るという当てはほんとうにあるのだろう。
潜在意識とのツーカーなコンタクトを失って、つじつま合わせばかりしているぼくらのほとんどは、そのようにして生きているのである。 (つづく)
この続き 完結編