古い日記です。
僕は1994年から97年まで一度も日本に帰らずアメリカにいて、帰りに文部省(当時)のとってくれたJALのビジネスクラスに乗ったとたん、スチュワーデスから、もわっと湿気のある「おもてなし」エネルギーが来て、おえっとなって、これ何?と考えたら、嫌いな歌「マドンナたちのララバイ」が頭の中に聞こえてきた。
成田空港はマシとして、成田エクスプレスに乗ると、おじさんたちがお酒を飲んでいて、社内販売の女性にかける言葉が、それセクハラやん!って感じで、逆カルチャーショック強かった。そのあと、東京につくと駅の売店で半ヌードの女性が表紙の雑誌が売っていて、頭おかしくなりそうだった。
東京の電車の中で向かい側に座っている人の顔が全員、どこかしらゆがんでいて、唇がまっすぐでなかったり、目が片方小さかったりした。見ているうち、だんだん涙がこぼれてきた。「僕はこの民族なの?僕はこの民族を愛せない。この民族なのが嫌だ」と思うと、涙が止まらなかった。
街は人であふれ、それが無数の虫に見えた。無数の虫が互いの体に這い上がろうとして、蠢いていて、その全体が奈落へ落ちていっているように見えた。
用事があって、文部省へ行った。不思議なことに官庁に入っていくと急に空気が変わり、時間の流れが遅くなった。そこでは誰も急いでいなかった。よくも悪くも官庁は植民地のヘッドクォーターな感じがした。その外は植民地の混沌だが、ここだけ宗主国の空気だと思った。
ただ、東京での用事が終わり、新幹線で大阪につくと、周囲から大阪弁が押し寄せてきて、東京で流したのとは別の涙が流れてきた。あ、ふるさとやん。と思った。
以上、「日本の異常について」でした。