2011年のあびの脱原発詩
今読んでも自分でも実感がわかないほど、このときの熱は収奪されてしまった。
でも、このときは、書きながら泣いてたんだ。
今は言葉が素通りする。
(1)
デモする人々は路上の棘ではない
デモする人々は路上の花だ
突き刺すのではなく
ただ咲くことによって街を埋め尽くす
仲間が踏みにじられても
もっとたくさん咲いて
もう誰にも止められない
デモする人々は街を滅ぼす放射線ではない
デモする人々は街に放たれた芳しい香りだ
人々の鼻をくすぐり
見えない世界に目を覚ますことを呼びかける
未来が絶望的でも
もっとたくさんの希望を放ち
もうひとつの可能性の扉を開く
(2)
脱原発デモは威嚇しているのではない
脱原発デモは存在している
路上だけではない
あらゆるビルの窓辺に
システムに縛られて働く労働者たちの
本当の幸いを願う気持ちの中に
たたなづく家々の竈の前に
テレビが原発を擁護している居間での
家族の団らんの中に
放射能対策のマスクをした子どもを
玄関から送り出すお母さんの胸に
脱原発デモは一匹の巨大な龍ではない
ありとあらゆる場所に無数に舞う蝶だ
ひとつところに集まっても集まらなくても
それはもうこの島の街々を埋め尽くしている
必要に応じて
彼らは群を成して都市を乱舞するだろう
その声に耳を傾けるならば
話し合いのテーブルがいくつも用意されるだろう
脱原発デモは威嚇する声ではない
それは無数の響あう祈りである
(3)
誰が誰を
騙しているのか
この星の上で
生きて死んでいく間に
どんな風になれば幸せなのか
誰が決めたのか
利権と暴力がすべてだと
なぜ信じたのか
あなたが騙したのか
僕が進んで罠に落ちたのか
敵だと思っていたあなたも
本当は孤独なのか
愛が欲しかったために
支配に走ったのか
僕はどうなのか
本当は何を求めて
こうして言葉を紡いでいるのか
(4)
おまわりさんへの応援歌
職務に忠実なまじめなおまわりさん
あなたたちの任務は
このデモが平和のうちに進行することではないでしょうか
誰もけがをしないで
ひとりの逮捕者もなく
小さな意見も大きな意見も
その声をはっきりと響かせる街にすることではないでしょうか
そのためにこそ全力をつくすことではないでしょうか
職務に忠実なおまわりさん
デモに参加する人と
街を行く人々は善と悪ではないのです
同じ島に住む大切な仲間なのです
私たち学校の先生は
いつも教室で子どもらが誰ひとりとして
踏みにじられることのないように
全力をつくします
そのために時には彼らの世界に介入もしますが
誰かが追いつめられて牙を剥くことのないように
私が殴られて結局子どもが不利になることのないように
あらゆる智慧を絞り
やさしさと厳しさを満開にして接します
職務に忠実なおまわりさん
平和なデモを混乱させないでください
この島の心やさしい仲間を挑発しないでください
周囲に目を配り いつも人にやさしく
暴動を起こす前に 音楽を奏でようとする
やさしいこの島の民をけっして追いつめないでください
どんな意見も大事にされる
やさしい国を一緒に守ってください