願望実現と自己実現は意味が異なる。
ニューエイジ思想でいう願望実現がふつう、自我の願望を潜在意識に植え付け実現するテクニックを指すのに対し、
自己実現とは、潜在意識よりもっと深い超越的な次元において、自己がこの地球上で展開していくことになっている波に乗って、宇宙サーフィンすることを指す。
つまり方向性が逆である。
願望実現では自我が潜在意識をコントロールしようとするのに対して、
自己実現は潜在意識よりさらなる深みから浮上してくるメッセージに気づき、乗りこなし、自己の運命ともいえる、この地上に生まれた理由をまっとうすることなのだ。
天命(もうすこし限定的にいえば天職)を生きることとも言える。
そして、この「自己を生ききる」過程で、必要な物質的な条件は、必要なだけ巡りあうことになるだろう。
だが、けっして物質的な条件そのものが、自己目的化することはない。
願望実現が動力船に似ているのに対して、自己実現はサーフィンに似ている。
願望実現においては物質的条件はアラブ諸国から手にいれる石油に似ており、それは具体的にはお金という形をとることが最も多い。
自己実現においては物質的条件はありとあらゆるところに吹く風や波に似ており、それはお金という形もとるし、ありとあらゆるほかの形もとる。
完全に宇宙サーフィンの波に乗っているとき、必要なものは何でも必要な形で宇宙が用意する。
いや、究極的な次元ではそれは既に始まっているのだが、私達のほうの覚醒が足りないがために、その波に逆らっているのだ。
自己実現のためにクリエイティブなヴィジョンを描く際に、自我の願望よりも自己の天命を知るには、イメージを浮かべるときに、できるだけ心の深みから浮上してくるものをとらえる必要がある。
本当の本当に望んでいるものは何かに気づくことである。
自我の願望を潜在意識に植えつけるのではなく、潜在意識よりももっと深いところで本当に望んでいることに気づき、浮上させ、自覚することである。
そのためには、たとえば単に「どんな状態を望んでいるか?」と自分に問うよりも、
「どんな状態であれば最もわくわくするだろうか?」と問うことができる。
そしてさらに、もっと深みからの望みを浮上させたければ、
「どんな状態であれば、ついにたどりついたと感じるだろう?」と想像してみるのもよい。
前者のイメージを明確化すれば、天命において活躍中の自分が見えるし、
後者のイメージを明確化すれば、天命を成就した自分が見えるだろう。
また様々な心の傷によって意識が曇らされ、自分が本当は何を望んでいるのかがわからなくなっている場合は、まず身口意の三業を浄化することが必要である。
そのためには様々な瞑想テクニックを用いるのもよいだろう。
さて、自己実現のさらにその先には自己超越の次元がある。
願望実現、自己実現、自己超越の順で深まっていく。
だが、自己超越の話は別の機会にするとして、ここでは願望実現と自己実現の相違について考察した。