この映画の概要はwikiで確認してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A8%98%E8%80%85_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
東京新聞記者・望月衣塑子の同名ノンフィクションは飽くまでも「原案」であり、
この映画は虚実皮膜のフィクションとして、この国のマスコミや官僚の現実を描くのに成功していると思った。
そしてそれを誘導しているのは、政権であり、内閣府であるという真実を突いていると私は感じた。
そのためか、wikiにもこのような記述がある。
「映画の内容から反政府というイメージを持たれかねないにもかかわらず、この難しい役の出演を承諾した松坂桃李に対して、その決断を評価する声があがった[9]。
映画公開日前後から公式サイトが断続的にサーバーダウンして閲覧が難しくなる状況が発生した。特定のIPアドレスからシステムを使用した集中的なアクセスを受けていると公式から説明があり、サイバー攻撃ではないかという疑いも持たれた。」
もっとも、私自身に言わせれば、ここに勇気ある行為として描かれた新聞記者や官僚の告発や記事の発表、この映画に出ることを承諾した役者の決断などは、本来、民主主義国家で当たり前の職業行為であるべきである。
そのことに「決断」などという言葉を使わなければならない時点で、表現や報道の自由が大きく損なわれた状態なのだと言わざるをえない。
ましてや、政府主導の文書の改竄を指示され、自殺していった官僚の姿などには、この国がいかに深い闇に包まれているかのリアリティをひしひしと感じた。
かなりの興行成績をあげているようだが、なんとなく、この映画に描かれたような現実を「さもありなん」と認識している人が、観にきていて、
そういう問題意識を持たずに過ごしている人々が観にきていないような気がして仕方なかった。
これはマスコミや官僚の問題であるばかりではなく、私たちひとりひとりの課題を描いた映画であることは、wikiにも引かれている、「万引き家族」でパルム・ドール賞を受賞した是枝監督の言葉が指摘していると思う。
「これは、新聞記者という職業についての映画ではない。人が、この時代に、保身を超えて持つべき矜持についての映画だ」
「客層は従来の中高年層に加え若い層が徐々に増えてきている」というのは、この国に残された希望の光のひとつである。