そして「イザヤ書を読む」を読み始める。1990年に本田哲郎(釜ヶ崎在住のカトリック司祭)が書いたのだ。これで今回中央図書館で借りた本は終了だ。
読み始めるとすぐ彼の立ち位置がわかる。
「預言というものは、口寄せや占いとは全く異質なものです。(中略)現代の感覚で一番近い表現は”社会分析による状況判断”ということかも知れません。(中略)しかし、現代の情報を駆使した社会分析がすべて預言と言えるかというと、必ずしもそうではありません。預言には一つのはっきりした視点というものがあります。それは神への絶対的な信頼に基づいて、社会の中で最も抑圧されている人々の側に立つことです」
神学とは何かということをこれほど明確に表現しているのは、僕の知る限り、本田哲郎だけだ。
(預言者というものが現れたのは)「帝国の脅威に対して財力と武力による解決しか考えないような風潮にあった時でした。社会に”価値観の危機”が訪れたときに預言者は出現すると言えるかもしれません。」
「抑圧と疎外の苦しみのただ中にあった捕囚の民に派遣された(中略)われらの預言者たちは、民に向かって、富と力を失ったからといって絶望することはとんでもない思い違いであり、むしろ、今こそ神の力が発揮される時であることを宣言しました。」