・高橋弘二の転落とグルマイ教団の安定性
見てきたように、グルマイというインド人のシャクティパットグルの門下に連なる者として、高橋弘二は私の兄弟子にあたる。
だが、ある時期以降の高橋は、このグルマイについて、口にしていなようである。むしろサイババのエネルギーを伝えていると語り、サイババ側からはこれを否定されるという滑稽劇を演じたりした。
サイババは、日本で人気のあるインド人グルのひとりであるが、私自身はあまり関心がない。またサイババという人の特色を考えたとき、少なくともシャクティパットを前面に押し出したグルではなく、むしろ「物質化現象」と呼ばれる「奇跡」を旗印にしているように思える。(私自身は、あれは手品だと考えている。パンタ笛吹『裸のサイバ』等参照。)
では、なぜ高橋弘二は一時期、あのように入れあげていたグルマイというグルについて語らなくなったのであろうか。
私が、高橋とグルマイの身近にいた日本人女性から聞いた話によると、その経緯はこうである。
その後、ライフスペースは、グルマイの教団シッダ・ファウンデーションとの関係を強めていく筈ではあった。
ところが、ある時点から高橋が、グルマイの瞑想法を自分なりにアレンジし、それを願望実現という極めて現世利益的な目的につなげて指導しはじめた。いかにも、セミナー会社にありがちな展開である。インドの瞑想までもが、物質的な願望実現の道具になっていくわけだ。
この展開にグルマイ側は疑問を抱き、シッダファンデーションは、ライフスペースと距離を置くようになり、両者の関係は遠いものになっていったというのである。そして、その後、いつのまにか、高橋弘二はサイババのエネルギーを伝えているという風に、話が変転していたというわけなのである。
そして件のミイラ事件に至るわけだが、遺体にシャクティパットを施すといった事は、私の知る限り、インドのクンダリニーヨーガの伝統からは考えられない事である。
なぜなら、シャクティパットとは、「生命」エネルギーを活性化させる技術の一つだからだ。もっとも、高橋がその遺体を生きていたと言い張るなら、これは水かけ論に終わるわけだが…。
私自身は、一九八六年にライフスペースのセミナーのベーシックコースに参加している。アメリカ西海岸などで開発されてきたサイコセラピーグループの手法を、うまく編成してあるよくできたセミナーであった。
簡単に言うなら、このセミナーは、これまでの自分の思い込みの殻を破ってくれるという意味では、有効なものだと感じた。
だが、問題はその次のステップにある。そうやって、思い込みの殻が破れて自由になった意識のスペースに、ライフスペースは新しい価値基準を植え付けようとするのである。端的に言うなら、この素晴らしいセミナーをもっと広げようといったような観念である。私は、それを洗脳だと感じたため、その続きのアドバンスコースに参加するのを止めた。
一方、高橋の講演を聴いて、グルマイの弟子による瞑想プログラムに参加した私は、その後、グルマイに会いに、アメリカに渡った。グルマイとライフスペースが疎遠になっていった時期には、私は、どちらかというと、グルマイ側に寄り添っていった形である。
だが、グルマイをグルと仰いでその発言のすべてを信じるといった風にはならなかった。今でも私はグルマイにはある種の感謝を覚えているが、グルとして崇拝したいとは思っていない。
だが、グルマイはなぜ自滅的なカルトのパターンを歩むことを免れているのだろうか。その点について簡単に分析しておきたい。
気が付いたことのひとつは、グルマイは瞑想の会や講話の中で、常に自らのグルであるスワミ・ムクタナンダを賞賛するという点である。そして「このシャクティパットの恵みは、私ではなく、ムクタナンダから流れてきているのだ」とする。
クンダリニーヨーガを最初にアメリカにもたらしたムクタナンダについては、今でもアメリカのスピリチュアル・マーケットでは慕い続ける人も多い。ところが聞くところによると、このムクタナンダはといえば、常にそのまた師匠であるニッチャナンダを賞賛していたというではないか。
こうして師子相承の伝統をどこまでの遡るとき、グルマイの伝えるシッダヨーガの伝統は、歴史の彼方へ連なっている。
グルに対する敬愛の念は、どこまでも過去に遡っていき、ついには始原は見えなくなる。これはひとつの優れた「開かれたエネルギー回路」ではないか。こうしてクンダリニーと呼ばれる生命エネルギーは無限の過去から流れ来たり、グルへの敬愛の念は無限の過去へと吸い込まれていく。それはどこにも滞らない。どの個人へも回収されない。
グルマイの教団(シッダ・ファウンデーションと呼ばれ)には、伝統的にこのような構造においてグルの絶対化や独走を避けてきた安定した装置がそこには見られるように感じた。
(注・・・ただし、一方でシッダ・ファウンデーションはカースト制度についての視点が甘いなど、いくつかの因習的な問題点を指摘することも可能である。それらの点については、別途、思想的検討を要する。)