障害という言葉はいつ生まれたか⇒なんと戦後国語政策における適当な代用文字の定めにより、生まれた
障礙 障碍 障害 障がい
障害という言葉ですが、障がいと書く人もいますが、
耳鼻いん喉科みたいで座りが悪いので、もう障害でいいじゃん、
言葉狩りしても仕方ないしという意見もあります。
しかし、私はこの問題の最終決着を見つけました。
それはもともと常用漢字表(正確にはその前身の当用漢字表)に碍や礙を入れなかったことから始まる問題です。
もともと日本語では障礙、または障碍が正しい漢字でした。
また元は仏教用語ですので呉音で「しょうげ」と読むのが正しい日本語でした。
しかし、明治時代に何でも漢音で読むのが流行しはじめ仏教用語としてしか用いない一部の言葉以外は漢音で発音するようになりました。
そのため、障碍、障礙を「しょうがい」と読むようになりました。
ところが戦後、この「礙」「碍」を当用漢字に入れませんでした。
たとえば、耳鼻咽喉科の咽だけ当用漢字に入れなかったためそれは耳鼻いん喉科と表されるようになりました。
希望の希は当用漢字に入りましたが、稀少の「稀」は入りませんでした。
そこで稀少の稀は、希で代用することになり、(意味範囲に重なるところもありますが、ぴたりと重なるわけではなく別の漢字です。)
希少と書くようになりました。
しかし、希望のことは逆立ちしても稀望とは書けません。
稀には希う(ねがう=願う)という意味はなく、希は当用漢字に入っているのだから、希望は絶対に希望と書きます。
稀少は当用漢字のちの常用漢字の範囲を無視して、稀少と書いてもいいし
常用漢字表の範囲内で代用するなら、希少と書くことになります。
比喩の喩は常用漢字表にないが、輸入の輸は新字にして常用漢字に入っています。
そのためもともと輸入の輸のつくりと比喩の喩のつくりは同じであったことが見えにくくなってしまい、このような非整合性は漢字の体系をめちゃくちゃに壊しています。
ちなみに比喩は常用漢字の範囲で書くなら比ゆです。
さて、話戻って、問題は障礙の礙も障碍の碍も当用漢字表に入れなかったときに害の字 で代用するとしたことです。
このとき、(戦後国語政策の中で初めて)、日本語に「障害」という言葉が生まれました。
それまで日本語にそんな言葉はなかったのです。
ここで意味の上でよく考えておかなければならないのは、障碍、障礙には、
そこに何らかの妨げがあるという意味はあっても、害があるという意味はないということです。
たとえば、ひとりの人と、その人の社会参加の間に何らかの妨げがあることは
意味していても、害があるという意味はない。
にもかかわらず、音が同じだからといって「害」の字を当てた国語政策には
害がありました!
後に「害」の字はおかしいとしてそれをひらがなにしようとする意識的な人々が現れましたが、元はといえば
日本語では、何らの要因が自由自在に生きて死ぬことの妨げになることを、障礙または障碍と書き、「しょうげ」と読むのが、正しいのです。
それこそが、意図的にいじくられていない日本語だと思います。
元は仏教用語で、簡単に言うと悟りを妨げるものという意です。
障碍の反対語は無碍です。
四字熟語に融通無碍という言葉もあります。
何ものも障りにならず、いきわたる覚醒や光を表す境地です。
ちなみに阿弥陀如来の阿弥陀は、サンスクリット語のamitta(aは否定の接頭辞で、
mitta=量りうること がないという意味)を音写した漢訳ですが、
意訳するなら、尽十方無碍光如来と訳されます。
どこまでも妨げのない、いきわたる光を放つ、悟りを開いた存在です。
仏教のことはここでは深入 りしませんが、重要なことは次のことだと思うので再掲します。
戦後国語政策の中で、漢字を制限し、
その代用を定めていく中で、
初めて日本語に「障害」という言葉が生まれました。
それまで日本語にそんな言葉はなかったのです。
そして戦後の出版界はその常用漢字と新字に従って活字を作りましたから
明治の文豪が書いた書物も、たとえ作家本人が障碍と書いていても
障害という活字を使っています。
本来、書いた時点で作者が使っていた字をそのまま使うべきではないでしょうか?
誰にそんなものを書き換える権利があったというのでしょうか?
つまり、私の意見は、以下はすべて間違った「戦後国語政策」だったというものです。
(1)当用漢字(後の常用漢字)を定めたこと。
(2)そこに含まれない漢字の代用の仕方について国語審議会が示唆したこと。(ひらがな、または別の漢字)
(3)一部を新字にして当用漢字表(後の常用漢字表)に入れ、そこに入らなかったものは旧字のまま放置されたため、漢字の体系性が見えにくくなったこと。
これらはGHQが日本人の識字率などを心配して考えたことの指導を受けて行った改革です。
もっと極論としては漢字全廃や、総ローマ字化を発想していた人々もいたとどこかで読みました。愚かな欧米中心主義です。
戦前より日本の識字率は非常に高く、それは山下清などのいわゆる「発達障碍」があったとされる人々でも例外ではありません。
山下清日記に並ぶ古き良き日本語は、彼の作った貼り絵と同じように丹念で美しい。もちろん漢字は旧字。これを見たら、識字率が漢字の複雑さのせいでないのがよくわかる。むしろ漢字の体系性が破壊されていない言語の方が、多くの人の脳に納得をもって、なじむのではないのでしょうか。
日本が愚かで無謀な戦争に突入したのは、
けっして識字率が低かったからではありません。
それはもっと心理学的思想的に解明されなければならない、重い課題です。
今また愚かな道を爆走しようとしている日本の識字率は低いですか?
しかし、また同じ過ちは繰り返されようとしています。それは心理学的思想的に解明しないままに変わっていない「日本的なるもの」が持続しているからだと私は考えます。
むしろ以上のような国語政策を国家に委ねて、言葉を自分たちが主体的に使う宝物として扱ってこなかったことも、その「日本的なる態度」の一環かもしれません。