さて、ビッグサイズの総合大学たる北海道大学には、文系学部学科もひと揃えはある。
しかし、なんと言っても強いのは、
アイヌ語を初めとする北方民族の言語と文化の研究だと感じた。
名前を忘れた外国人がアイヌの言語を記録した蝋管レコードについては何十年も前に聞き及んでいたが、
北海道大学でレーザー光線により限界まで読みとっているのは知らなかったのだったか、忘れてたのだったか。
また、ロシア国内の少数民族であるサハなどとの交流や研究も盛んなようだった。
それにしても、世界には約6000の言語があるが、今後数十年のうちに激減していく危険性があるという文章を初めて読んだのは、もう4半世紀前のこと。
確か桃山学院大学の研究者の文章だった。
彼女自身がオリジナルなのか、どこからか引いただけなのか、今となってはわからない。
しかし、不思議なのはそれから30年近くたっても、この件に関する記述はいつも数字も同じで趣旨が変らぬことだ。
皆が孫引きしているだけではないのか。
これを調べたのはいつの誰でどうやって調べたのか、書いたものを読んだことがない。
いつも同じところまでしか書いていない。
僕は1990年代には授業でこれを引いていた。
年度の初めに生徒たちにこう説明するときに。
国語という科目名自体に、アイヌ語と南西諸島諸言語を無視する欺瞞があるのはお詫びするが、私が皆に教えるのは、明治以降に国家の政策で形をコントロールされ、国語と呼ばれてきた日本語の一変種です。その解釈の説明には関西弁が交じります。
また文献に残るこの島の古典文学と、古典中国語の特殊な解釈法である漢文についても扱います。
一応そう説明するとき、世界には6000の言語があると言われているが、、、と、ぶっていた。
数年はそうしていたが、
あれからどれくらい言語は減ってきたのだろ? とスガシカオ→SMAPが、頭の中で流れ、もう引用しなくなった。
しかし、4半世紀たって、大学たる場所で完コピされてたら、
「いったい誰が追跡調査してるねん?
学者がえんえんと孫引きするなや!
オレでも、続きの研究見ないなと思って数年で少年少女に無責任に言うの、やめたわ!」
って
思いますよね。
明日は北海道大学の宗教学の先生とお茶の約束してるので、畑違いとは思うけど、北大の博物館の展示の件やけど、と一応聞いてみる。
さて、そのような北方少数民族研究は、思想的な帰結として、ボーダー、国境とは、いったい何かという思索に繋がっていくのは必然的である。
北海道大学では、ボーダーとは何かという研究が盛んなようだった。
こういう展開になるのは、当たり前やなと思うけど、普通に安心した。
ミュージアムショップで何冊か買おうかと思ったけど、
明日も分厚い新刊を先生から直接受け取る予定やし、土器も買っちゃったし、荷物が重くなる。
帰ってからアマゾンで、岡部さんを通じてALIS払いで買おう。