・ シャーマニズムの技法
脱魂的な変性意識に入る技法は、世界中に様々なものが伝わっている。
たとえば、意識の変容をもたらす聖なる植物の摂取や、一定のリズムによる太鼓の連打などがある。
また、蒸し風呂も似たスウェット・ロッジや、自然の中でひとり断食することでヴィジョンを得ようとするヴィジョン・クエストなどもよく知られている。
では、そのシャーマニックな技法の数々を概観してみよう。
「太鼓のリズム」
一定のリズムによる太鼓の連打は、変性意識の喚起のために世界中の部族が用いる基本的な技法のひとつである。
南北アメリカ、エスキモー、アイヌ、シベリア、オーストラリア、アフリカなど世界各地のシャーマンは、共同体の儀式において太鼓を使用する。
太鼓の安定した反復するリズムは、参加者全員の緊張を解除し、心身を浄化する。
参加者は歓喜に満ちたトランス状態に入る。
だが、部族シャーマニズムにおいては、この技法は個人的な事情のために行使されるのではない。
儀礼の目的は、あくまでも共同体全体への奉仕にある。
アメリカ先住民運動の代表的な運動家のひとり、デニス・バンクスは、端的に「太鼓の音は、心臓の鼓動である」と言っている。
それは、私たちが胎児の時に子宮の中で聞いていた母なる鼓動、私たちが幼いとき胸の中で聞いていた母なる鼓動にもっとも近い音楽であると言えるだろう。
私たちは、シャーマニズムの儀式において、太鼓の音とともに母なる地球の子宮に帰る。
マイケル・ハーナーは、北米先住民から太鼓の連打による変性意識を主とするシャーマニズムを学びとる。
そして、その手法と体系を現在風にアレンジして、指導し始める。アメリカ合州国カリフォルニア州に、サイコセラピーやワークショップのメッカとして有名なエサレン研究所がある。
ハーナーはこのエサレン研究所などで、自らがアレンジしたネオ・シャーマニズムをワークショップ形式で広める。
ワークショップにおいて、シャーマン役をつとめるファシリテーターは、太鼓をきわめて正確なリズムで均一に打つことができなければならない。
ジャーニーの目的や場面に応じて、人間の意識にもっとも適切なBPM(1分間あたりのビート数)で、打つのである。
また、皮製の太鼓はその乾き具合によっても響きがたいへん異なる。
よく乾いた太鼓は、心身に心地よくコーンと響く。一定のリズムでそれが続くとき、私たちは比較的容易に、軽い変性意識に入っていく。
太鼓や鉦の連打が変性意識をもたらすことは、日本仏教においても活用されていることは、木魚などの活用を見ても明らかである。
空也の踊躍念仏は、弾圧を受けた後も、京都の六波羅蜜寺本堂内陣でひそかにその伝統が受け継がれてきた。
実は、盆踊りなどのきわめて大衆的な舞踊もその影響を受けていると考えられる。が、本元の踊躍念仏は、一九七七年に重要民俗文化財の指定を受けるまで、人目に触れることなく、住職から住職への口伝だけで受け継がれてきたのである。現在では、毎年十二月に一般にも公開されている。
私が、シャーマニズムの文脈において場違いな空也について語ることには、それなりの直感がある。
六波羅蜜寺に伝わる、有名な空也上人像は、鹿皮を身にまとい、鹿角の杖を左手にしている。
大好きな鹿が殺されたので、その形見を身につけたのである。
鹿と一体化した空也は、右手にもった撞木で金鼓をつき、口からは六字の名号南無阿弥陀仏を表す六体の弥陀を吹き出している。
写実的な彫刻である。
この姿で空也は街角を歓喜踊躍しながら、念仏を唱え、小梅干と結昆布をいれ仏前に献じた茶を病者に授けてまわったのである。
これが、シャーマニックな行為でなくてなんだろうか。
この島の仏教は、この島の大地に秘められたエネルギーを幾度となく吸い上げることによって、その活力を得てきた。
シャーマニックなエネルギーは、いつの世にも、宗教性を根底から支える根の部分である。
現在も、薄暮の中で厳修される踊躍念仏は、念仏弾圧を逃れるため「南無阿弥陀仏」をはっきりとは唱えない。
かわりに「モーダナンマイトー」「ノーボーオミトー」などと唱えながら、鉦をつき、腰をかがめ床を踏みしめて踊ってまわる。
その所作は、どこかネイティブ・アメリカンやアイヌ民族の踊りにも通じる点がある。
念仏踊りは、住職の警戒の声と共に突然すっと終わってしまう。弾圧時代の風習をそのまま摸しているのである。
太鼓の音による変性意識の応用は、現在のレイブ・ムーブメントなどにも見られる。レイブとは、ヨーロッパで誕生したダンス用のテクノ音楽を鳴らして一晩中踊りつづけるパーティを指す。
反復する機械的なリズムに乗って踊りつづけると、やがて人は、一種のシャーマニックな変性意識状態になる。
「スウェット・ロッジ」