高次脳機能障害に長く取り組んでいる医者のひとりに山口研一郎がいる。彼の編集した冊子「高次脳」の9号から12号を読んでみたが、話は生命35億年の歴史から、諸外国における高次脳機能障害への取り組み、自身の取り組みなど多岐にわたり、まあまあおもしろかった。
さて次に同じく山口研一郎編著「生命 inochi 人体リサイクル時代を迎えて」を読み始めた。緑風出版から出ている2400円もする本だが、山口の診療所の待合室で買った。というのも、その最後に載っている、神戸修という真宗本願寺派僧侶の論文「いのちの否定 宗教による戦争と差別の正当化」のテーマが、私の書いた「魂の螺旋ダンス」と深くかぶっていたからだ。
神戸の四十八願訳は、ちょっとイケテル。第一願はこうだ。
「たとえ私が個人的に苦悩の解決法に目覚めることがあったとしても、私と共に暮らす浄土の人々の中に殺戮(地獄)、欠乏(餓鬼)、恐怖支配(畜生)などのあるようでは、本当の目覚めとするわけにはいかない」
次に山口自身による「おわりに」を読んだ。ここには主に澤潟久敬(おもだかひさゆき)の「医学概論」(誠信書房)という膨大な書籍の概略が紹介されていた。1941年から68年までに大阪大学医学部で行われた講義の記録らしいが、その第一部は戦時中でもあり発禁になったそうである。彼は哲学部の教授なのだが、この講座を医学部で行った。かなりおもしろそうな本なのだが、特に感心したのは、「健康とは何か」ということに社会的健康までが含まれて考えられていて、「労働」あるいは「社会生活」肉体的社会的に支障なく営めること、また精神的健康も含まれていて「人間関係の構築と維持」が強調されている点である。そのためには「生活水準の向上」「労働条件の改良」「社会情勢の安定化」が不可欠とされ、結果「医学は政治学」と結論づけられている。
こんなことを戦争中から考えていた人がいて、その著書を発禁にされたりしていたというのは、大変興味深い。
もとより、僕は高次脳機能障害のリハビリのために山口クリニックを訪れたのだが、寄り道が正道に繋がっていることはよくあることである。