もう書類の山は整理できないまま死ぬことはほぼ確定であるが、
まあ、気が向いたときに、少しはアクセス可能の形に移しておこう。
高校生の時のノートが出てきた。
思春期の子を持つ親や、思春期の人そのものに
もしかしたらもしかして思春期に虚無をくぐり抜け無かったために
中年クライシスに陥っている人にも?
参考になるかもしれないので、写しておこう。
(以下1977年頃のノートより)
僕が自殺しないために絶対に必要なこと、すなわち僕が生に意味を感じつづけるために絶対に必要なことは、価値体験(マズロー)かあるいは、それに近い精神状態にいることである。
僕は最近かなりその技術(アート)を身につけてきている。
しかし、もっと完全な入神状態に入るためには、禅、ヨーガその他の瞑想の修行の実践か、あるいはその他の何らかの心理学的方法で自己の精神をコントロールすることが必要である。
これを怠ると、サルトルと同じ「嘔吐」を感じ、カミュと同じ「不条理」を感じ、気が狂うか、自殺するか、非行に走るか、あるいは自己の疑問に無理に蓋をして、イライラしながら日常生活を続けるしかないだろう。
(以上)
その後、そうやって常にその状態でいようとすることそのものが、偏執的であるから、あるがままでよいのだという教えとの出会いにより、解放されるまで、僕はこんなことを考えている高校生だった。