『故宮書画図録』全26巻。これを全部一ページずつめくっていけば、タイトルのわからないあの絵に再会できるかもしれない。ついにここに辿り着いた。と僕は考えた。
恥ずかしい話だが、そのとき、キューっとお腹が鳴った。朝早くから故宮博物院でずっと見学していた。士林の屋台でバスに乗る前に軽く朝食を摂ったがそれからずっと美術三昧だった。
時計を見ると午後二時を廻っている。この図録をめくっていく氣力が出ない。腹が減ってはいくさはできぬ。僕はまずは博物院のカフェテリアで腹ごしらえをして、もう一度このミュージアムショップに戻ってくることに決めた。
ミュージアムのカフェテリアなどというものは、見学時間の長い人がとりあえず腹ごしらえを挟むための簡易なものであるのが通例である。そのつもりで特に期待もせずに僕はそこを訪れた。
ところが驚き。ここのライスバーガーはそれなりにおいしいではないか。詳細は不明だが変な添加物の味もしない。胃にもたれたり、頭痛がしたりしてこない。つまり、まともな食べ物である。
僕は色々な場面で台湾の食生活の豊かさや健全さを感じた。たとえば日本と同じ系列のコンビニエンスストア、ファミリーマート=全家を覗いたときも、その片隅に夜市屋台と同じようなものを食べられるコーナーがあった。
たかがミュージアムのカフェテリアと思って入ったここでも、同じように台湾の食は充実しているんだなと思った。
そんなわけで食事にも満足してミュージアムショップに戻った。
『故宮書画図録』を1巻から開いていく。山水、飛瀑(滝)、その中に点のように存在し、あたりの自然に溶け込んでしまっている人物。それはやはり中国の書画の中で大きな割合を占める一大分野を形成しているのだなと思った。僕は似たようなモチーフを有した絵を何枚も見つけることができた。
そして初めてあの「滝を見上げる老人と少年」の絵を見たときと同じような興趣に打たれるものもないではなかった。だが、あのときほどではない。あの絵が見たい。
僕はページをめくり続けた。朝からの疲労感がだんだん体を蝕んでくる。
何巻目かをめくっているとき、僕はふと思った。
「あの絵に再会できない」というのは、「正しい運命」なのかもしれない。
と。
再会できないということは、必ずしも悲しいことではない。すべては一度きりというのは、主客不二と並ぶ生死を貫く真理だ。
話は学生時代にまで遡るが、僕は一度だけふと思いついて、水墨画を描いたことがある。
池のほとりで芭蕉翁が山間に沈む夕日を見ている絵だ。
「これ、すごくいい」と、当時一緒に暮らしていた彼女が言った。
我ながらよくもこのような絵が描けたなと思った。
その頃僕はモーツアルトの交響曲四〇番、「悲しみのシンフォニー」と呼ばれるその曲をカール・ベームが指揮しているレコードが好きだった。
その曲を聴いていると、小林秀雄が「疾しるかなしみ」と称した透明な慈しみとも悲しみとも言えぬ気持ち貫かれてしまう。
描きあげた絵を見ているとその心持ちに近いところへ、すーっと入っていく感じがした。
その時だった。彼女が「ちょっとやらせて」と言って、その絵にさらに筆を入れた。もっとよいものにしたかったのだろう。朱の墨汁を使って夕日に色をつけたのだ。
すると、透きとおっていたはずの絵がみるみる濁った。
何かが破壊されてしまった。それはおそらく、生涯に一度だけ、何の企みもなく無為に描かれたものに、人間の頭で考えた技巧のようなものを加えようとしたからではなかったか。
彼女は、「さっきの方がずっとよかったね、ごめんね」と言った。
ためつすがめつしては、何度もそうつぶやいた。
僕は思った。僕には墨絵の心得などまるでなかった。先ほど現出していたあの絵は僕にとってビギナーズラックのアートだったのだ。
まさか描けるとも思わず、たった一度だけ無心で描いたとき現れた恩寵のようなものだったのだ。
そして今、それはさらによいものを加えようとはからった瞬間に破壊された。
だが、考えてみれば、こうも言える。
すべては一度きりのビギナーズラックのアートなのだ。
生きるということがすべてそうなのだ。
僕はその絵への執着を絶つようにして破って棄てた。
僕はあれから何度か、同じ絵を描こうとした。
が、二度と同じ感じを表現することはかなわなかった。
そもそも僕は絵心のある人間ではなく、文芸を志した人間だった。
僕はあのときのあの絵を越えるものを詩や発句で書くしかないと思って生きてきたし、何度かは成功したことがあるという矜持がある。
彼女と別れて数年、故宮博物院で、僕は滝を見上げる老人と少年の絵に出会った。
そのとき、僕は突然、自分がビギナーズラックで一度だけ無心に描いたあの絵を遙かに超えて、空なるものの彼方に吹っ飛ばされた。
美術作品でそれが起こるのは久しぶりの珍事だった。
だから今回、もう一度あの絵に会いたかったのだ。
いや僕が会いたかったのはその絵そのものというよりも、思わず知らず、空なるものの彼方に吹っ飛ばされる瞬間そのものだったのかもしれない。
でも、それは同じものを通してまた訪れるものだろうか。
僕はもしかしたらあの絵を再発見したとき、なんだ、こんなものだったのかと落胆する可能性はないだろうか。
生きるということは、二度と同じ瞬間はない中で、何度でも異なる回路で、空なるものの彼方、遙かなる今ここに吹っ飛ばされることではなかったか。
同じ瞬間は二度と還っては来ない。
だからこそ、めくるめく未知なる扉が開き続ける。
それが生きるということではなかったか。
また執着が頭をもたげるとこんなことを考える。
もしかすると、日本の美術大学にこの全集はあるだろうか。
それとも僕はいつかまたこの故宮博物院に来て今度はこれだけに集中し、この全集を全部捲れるだろうか。
だが、僕はそうしたいのか。
それともそれはする必要などないことなのか。
ミュージアムショップには思い出のよすがとして、様々な模造美術品が売られている。
そしてもっとお金持ちなら本物のその美術品そのものを買って、自分の部屋に飾る人もいる。
だが、それを買ってしまっては何かが変質するのではないか。
生は、驚きと神秘に満ち満ちて、無限にまた次の瞬間がやって来る。
エクスタシーは固定できない。
手放して、出会い続け、創り続けることによってだけ、その都度、異なる容貌をしてやってくる。
思いもかけぬ角度から風が吹き、僕という存在を浚っていく。
それでいいのかもしれない。
それしかないのかもしれない。
そう考えながら、僕は図録めくりの作業半ばにして、ミュージアムショップの棚を後にした。