2012年の日記です
村上春樹の「中国行きのスロウ・ボート」を29年ぶりに読んだ。
僕がこの短編を初めて読んだのは、1983年、サンフランシスコの日本人街にあった紀伊国屋に新刊として並んでいたのを手にとったときだ。日本語の活字に飢えていたせいもあって、一編の終わりまでそのまま立ち読みした。なんだかとてつもなく感動したのを覚えている。
それから29年して、僕は初めて中国大陸に渡り、魯迅をかくまった内山完造の故居を訪ね、そのすぐ近くの書店でこの小説の中国語訳「去中国的小船」を買った。
そして日本に帰ってきてまず元の「中国行きのスロウ・ボート」を本棚から引っ張り出して読んだ。(本棚を改めて見ると、村上春樹の小説はデビュー作「風の歌を聴け」から「ノルウエイの森」までは全部揃っていて、それ以降は殆どなかった。)
そうして改めて注目してみるなら、村上春樹が最初に書いた短編小説は、実はこの「中国行きのスロウ・ボート」なのだ。
「中国行きのスロウボート」は、「ここは私のいるべき場所ではない」という感覚を鮮やかに切り取った短編だ。「僕」が19歳のとき、東京で出会った同い年の中国人の女の子の口から出たこの言葉を、30歳の「僕」は東京の山の手線の中で、自分の感覚として痛烈に意識する。
そして小説は「それでも僕は」「空白の水平線上にいつか姿を現すかもしれない中国行きのスロウ・ボートを待とう」「友よ、中国はあまりに遠い」と結ばれる。
不思議な読後感の中で、中国は現実のいまある中国ではない。それは本来、自分が存在するはずであった根源的な場所だ。しかし、そこには永遠に到達などできない。
村上春樹の基本的な存在感覚のひとつが、この「ここはいるべき場所ではない」「本来の場所はあまりに遠い」というものだろう。
なぜ、そのことを表現する最初の短編小説が、中国という鍵を巡らなければならなかったのか。たぶん、その謎を解いていくには村上マニアになる必要があり、同じテーマや似た登場人物の系譜を辿る必要があるのだろう。僕にはその趣味はない。
が、どこか不思議に潜在意識において、何を通して存在の根源とその喪失を語るかについて、この小説は確かに成功しているという感覚が僕にはある。詩として成功している小説というと、変な言い方になるが、そう感じる。
初期の村上春樹にはいつもそう感じていた。「ノルウエイの森」より後では、だんだんどうでもよくなってしまった。