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(2)光る玉を自分の中心にもち、光り輝いてください。
ただし、光を放つと周囲がしんどいので、自分の身体から一センチぐらいのオーラを放つような感じでキープしてください。
この、ただし書きの指示を聞いたとたん、もうすべて実現した気がしたが、太鼓の導きによるジャーニーはそのレッスンになった気がする。
自分を実は光であると感じることはよくあるが、その光を四方八方に思い切り放ってしまうと周囲には、せっかくふつうに?生きているのにうっとおしいかもしれない。
また自分を保護するという意味では実は光を放ちきってしまうとプロテクトは弱くなる。
すべてに放っているから、どこからでも侵入されてしまうのだ。
だから特別な場合以外は、光は自分の身体から一センチぐらいのところまでで光の繭のようにして保った方がいい。
ジャーニーの中でそうしていると、僕は自分の今日の参加者としての「あび」と書いたネームタッグを胸の真ん中、アナハタチャクラの当たりに貼っていることに気がついた。
そこはちょうど、パワーアニマルにもらった光る水晶玉のある場所であり、そこから放たれている光を、拡散を抑えて体から一センチに留まる光の繭になるように心がけた。
するとかつてないほど自分のパワーを感じたし、自分がプロテクトされているのも感じた。
この光は必要に応じて特定のクリエイティブな方法で放射するものであり、いつも全部を全方向に放っておくようなものではないのだ。
反省。(;゜ロ゜)
しばらくそうしていると今度は、タッグを貼ってある位置=光る水晶玉としての真核の位置がもう少し下であるというムズムズとした感覚に襲われてきた。
それでネームタッグを少し下に張り直した。
そこはマニプラチャクラの位置だった。
この感覚は先ほどよりもさらに感情的なパワーがあり、しかもそれが全方向に放たれず、やはり体の周囲あたりで制御されている。
これを全部放ってしまうと、うっとおしいほど、感情を自由に表現している感じがちょっとエキセントリックになってしまう。
これがよくも悪くも僕の持っていた性向性ではある。
しかし、今はそれを最も適切に制御するレッスンをしており、その方が自分が感情的に侵入されてしまうことからも、自分をプロテクトできる。
そういうことか・・・・とレッスンしていると、今度は光る水晶玉の位置はもっと下だという感覚に襲われてきた。
タッグを貼り直した。
これはスワディスターナチャクラの位置だった。
しかし、今は性中枢としてのそれよりも、パワーチャクラとしての性質を強く感じる。
チャンピオンベルトのメダルの位置だ。
パワーのチャージとプロテクトは完全だった。
太鼓の音に呼び戻された。
結局、こんなジャーニーをしてくださいと言われた瞬間に舌下に薬を入れたとき、一瞬にして血流に乗った化学物質で味わいがすべてわかるように、瞬時に「理解」が起こる。
実際のジャーニーはそのレッスンを実感をもとにやってみている感じだった。