facebookから出てきたこのメモは、確か重松清のいじめ小説「十字架」からの引用だったと思うけど、書いてないのでわからない。
前にも書いたけど、僕は日本文学史上、学校いじめ小説の最高峰は、三並夏ちゃんの「平成マシンガンズ」と思っている。
だけど、この小説「十字架」(たぶん)も、プロの腕前で、いじめ学級と日本社会が相似形であることの表現に成功してると思う。
ただ、模範解答っぽい。
三並夏ちゃんの、ヒリヒリ感がたまらなく好き。
「平成マシンガンズ」の掲載された「文藝」は、息子が結婚先に持っていったきり返ってこない。
(以下、たぶん「十字架」の引用)
いじめと力による支配のはびこる教室は、現在の世界に似ている。そこで意志をもって立ち上がる子どもたち。
「西村さんは、どうして人のことに、そんなに一生懸命になれるの」
「人のことと、ちがうやん。わたしの教室やで。わたしのクラスメートやで。ちゃんと、わたしのことやもん。そいで、タイム、あんたの教室でもあるんやで」
「自分のいる場所を、自分の手で守るんは当たり前のことやろ。その努力をおこたったら、わたしたちは、気づかないうちに自由をなくしてしまうことになるよ」
「大人は気が短いやん。わかりやすい結果しか求めてないとしたら、どうやろ?」
「いじめをなくすのだけが目的なら、教室にはカメラがあって、GPSを持たせて、僕らの行動を監視していればいいんだ」
「そうや。ついでにチェックした言葉や行動をポインとにして、成績表につなげていったらどうやろ」
「それじゃ、ぼくら、まるでロボットか奴隷みたいだよ」
「自由でいるより奴隷でいるほうがいいってことね」
「気づきを持つの。ひとりひとりの。クラスのみんなが、何が問題なんか、自分がどうしたらいいんか、考え合いたいねん。だれかにいわれたからじゃなく、自分の中から気づかないと、何も変わらない気がするの」
「だからさ、ひとつひとつの場面を大事にしていきたいんだ。自分がどういう場所にいたいのか、強い意志をあらわしていきたいんだ」
「いやいや、おじいさん。それはできません。岩永先生は指導力不足ですし、反省の足りない子どもたちもおりますしですね」
「タイムが言っておりました。岩永先生は、ぼくたちの味を見ようとしてくれる。多少、たよりなげなところは先生の味で、ぼくはその味が好きなんだと」
「おれもトオルの一部だったんだよ。おれとか軍団のメンバーの、乱暴したいとか、いじわるしたいっていう気持ちがトオルに集まったんだ。おれたちがトオルをモンスターみたくしちゃったんだなよな」
「そんなら、おれもトオルの一部だったよ。おっかねえとか、めんどうだとか、どうでもいいやって、ずっと思ってたもんな。それも全部、トオルが吸い込んでたとしたら、モンスターにもなるよな」
「あの時代に優しくあることはむずかしいことだった。それを貫かれた先生は、まぎれもない勇者だったよ」
「息苦しさは、今だってあるだろう。学校や家庭で命や意志を大切にしているといえるのかね。力の強いものに反論する勇気が、どれだけあるのかね」
「ぼくもきっと、自由を選ぶよ。そういう生き方を学んでいきたいと思うんだ」
ひとつの教室に起こっていることは世界全体に起こっていることだ。そのことを洞察し、そこからの出口を指し示している、こんな児童文学が存在するのは、ひとつの希望だ。