「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」と親鸞が消息に書いたとき、いかに朝家や国民が念仏を差別排斥していたか。そのことを考え合わせなければならない。
つまり、ここで国民と呼ばれている存在は、念仏集団にとっては裏切り者とでも言えるような「ひがふたる世のひとびと」であると古田は解釈している。
すると、この言葉もまた、イエスの「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という言葉に似てくる。
自分たちを抑圧するものの「ために」こそ、念仏もうしあわせようではないかというのである。
自然に思い出されるエピソードのひとつは、自らの政策を批判してくる民に向かって、「このような人々に負けるわけにはいかない」と指さした政治家と、「そんなあなたも救われてほしい」と返した政治家の例である。
後者の政治家が念仏者であるという話は聞いた覚えは特にない。
が、ここで大切なのはそのスピリットであって、実のところ、私自身、念仏そのものに絶対の価値を置こうとしているわけでは全くない。
「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」という言葉に対する「朝廷や国民のために鎮護国家の祈りとして念仏しなさい」という戦時教学の解釈は曲解であることは今や明白であろう。
当時の朝廷や誤った権威を頼みにしていた国民が、念仏者を激しく差別・弾圧していたという側面を考え合わせるとき、それは「私たちを弾圧してくるあなた方もまた限りなき働きの中にある仲間として、私たちは念仏する」という意味となる。
歎異抄の後書きに示されているように、当時の念仏集団は多くの死刑や遠流の刑に処されている。
そんな中、この文言は、「私たちを差別・弾圧し、死罪にしたり、遠流にしたりする朝廷や、それに追随する人々もまた阿弥陀の限りなき働きによって救済されるであろうことをありがたいことだと念仏しよう」と言うのである。
確かに、戦時教学の極端な曲解は、戦後、古田武彦を初めとする幾人かの念仏者によって、正されてきた。
この箇所を自らを迫害するものへの祈りととらえ、その心の懐の深いことへの感慨が語られてきた。
しかし、ここでもうひとつ考え合わせておかなければいけないことがある。
それは、親鸞の思想では、念仏の功徳は回向できないことである。
つまり「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらふ」としても、少なくとも親鸞の思想においては、その念仏の功徳が朝家や国民に回向されるわけではないのである。
法然においては、この念仏はより「祈り」に近いものであり、功徳を回向しようという心もあったかもしれない。
そして親鸞は法然の遺志を継ぐ形でこのように述べているのであるから、言葉遣いも朝家の「御ため」国民の「ため」と、まるで念仏するのは、功徳がそれらの対象に回向されるようにする「ため」のように聞こえる言い回しになっているかもしれない。
しかし、親鸞の思想では、功徳を回向できるのは、阿弥陀(=宇宙の限りなき働きと私は訳しておきたい)だけである。
その限りなき働きは、一切衆生に行き渡り、止まることを知らない。
つまりここに「朝家の御ため国民のため」と言っても、親鸞の思想においては、その念仏の功徳を回向するためと解釈することはできない。
念仏を誹謗するそのような人々もまた救済の対象であることを思えば、その限りなき働きの願いの深さに感涙、報恩し、念仏せざるを得ないという意味になる。
彼らに助かってくれと私たちが念仏することで彼らが助かるのではない。
彼らもまた助けると誓っている「阿弥陀の限りなき働き」を念い、歓喜と報恩にあふれて、ますます念仏することは祝福に満ちているというのである。