「無知」についてどう思いますか?
一般的に、人は無知の状態で生まれ、親による躾や学校における教育、他者との交流などの体験と学習により次第に知識や教養を得て一人前になると考えられています。
罪だとか、損だとか、考え浅いとか、有識者から見たら、こんな風に映るじゃないかと思います。 文化の異なる人との会話・交渉においては、互いのルールやマナーの違いを尊重しつつ、国内外の法律を知識として理解しないことは、モラルを問われたり、処罰の対象になったりと、知らなかったでは済まされないことはよくあります。殺人が良くないのは知っていても、野生の猫vs鶏の鳥獣対決を見世物とした場合でも動物愛護法違反で刑事罰の対象になることは知らないかもしれません。(牛,馬,豚,めん羊,やぎ,犬,ねこ,いえうさぎ,鶏,いえばと,あひるは野生でも動物愛護法上の愛護動物になりうる)
幼い子供を持つ親の場合は、愛らしいとか、純粋とか、先入観や偏見のないとか、思い浮かべるのではないでしょうか。思考法で有名な「0ベース思考」という本では、子供のように考えるという記載があったりしますので、無知も悪いものではないのかもしれません。
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哲学とか少しかじっていると、ソクラテスの「無知の知」を知っている人もいると思います。
無知の知
[解説]
哲学において、神だけが知者であるという立場から、知者でないがゆえに血を愛求する有限的存在としての人間の本質規定があった。
ソクラテス哲学を特徴づける有名な言葉。
哲学者 (愛知者) という意味でのギリシア語 philosophosは,ピタゴラス,ソクラテス的意味では,神だけが知者 sophosであるとの立場から,知者でないがゆえに知 sophiaを愛求する有限的存在としての人間の本質規定であった。したがって philosophiaは,いわゆる賢者や知恵の本性が神と比すれば無にも等しいものであることを明らかに自覚することに始る。本来的な知の イデー のもとにおける自己の無知の自覚が無知の知にほかならず,ソクラテスの優越は,だれよりも深くこのことにおいてすぐれていたことによる (『ソクラテスの弁明』) 。しかも無知の知は,消極的側面にとどまらず,かえって迷妄をはらし真実の知への扉を開くのであり,かかる自覚を自己の本質的契機としてこそ,「能うかぎり神に似ること」が philosophosの目標として措定されることになる。それゆえにまた教育者としてのソクラテスは,人々にこの自覚を与え本来的な知のイデーヘ視座を転換するように努めるのであり,そのことはプラトンの対話篇に印象的に示されている。出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について
デジタル大辞泉は端的に書いてます。
自らの無知を自覚することが真の認識に至る道であるとする、ソクラテスの真理探究への基本になる考え方。
引用:デジタル大辞泉
論語にも似たような言葉があります。
知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり [解説] 知らない事は、知らないと自覚すること、これが本当の知るということである
引用:論語 為政第二の十七
さて、いろいろ引用してみましたがパッとしないので、勝手に師と仰いでいる石動さんの言葉を借りると…。
世の中知らないことだらけだ
であり、
1を知れば10知らないことが増える
という話になり、正確に言えば、
「知らないことがある」ことを知っているということは、「全てを知っていると思っている」智者よりも、「知らない」ことを知っているという点でワンランク上の智者である。
ということだそうです。言葉の定義としてはこんな感じです。
現代においては、無知の罪で記載したような文脈で無知が用いられることが多いと感じています。 ただ、解釈をここで止めると、メンタル的によろしくない。メンタルヘルスマネジメントを学び、アサーティブな考えを取り入れたいと思う私にとっては、一大事なわけです。
次の質問に答えてみてください。(読み返したりしないで、答えてみてくださいね)
問題!
綾子という女の子が、お母さんとお兄さんと一緒に海に行きました。赤い車に乗っていきました。海に着いたら、みんなで泳いでかき氷を食べて、砂遊びをして、お昼にはラーメンを食べました。
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では、質問です 。
1)車は何色でしたか?
2)昼食にやきそばを食べましたか?
3)車の中で音楽を聴きましたか?
4)食事と一緒にお冷は飲みましたか?
イギリスのある研究グループが5歳から9歳までの小学生に同様の質問をしました。 最初の2問は、ほぼ全員正解でした。後半の2問はずっと成績が悪かったとのことです。なぜか?最初の話を聴くだけでは十分な情報が得られない質問だからです。それなのに76%の子供たちが 「はい」「いいえ」で答えて います。
ここで知っているということはどういうことかを紐解いてみます。
ひとことで知識と言っても、色々なレベルや分類があります。
まず、科学的に検証可能な知識があります。「既知の事実」と呼ばれるもので、水の化学式を H2Oではなく、HO2だと言っても、必ず誤りが証明される。
次に、「信念」があります。つまり、一人ひとりが本当だと信じているけれど、簡単には検証できないものです。問題はここにあります。 例えば、「悪魔は本当にいるか?」という問いです。世界で見た場合は、悪魔信仰の強い国は、以下のようになりました。
1位 マルタ(84.5%)
2位 北アイルランド(75.6%)
3位 アメリカ(69.1%)
4位 アイルランド(55.3%)
5位 カナダ(42.9%)
そして、悪魔を信じる人の割合が一番低い国は、以下のようになりました。
1位 ラトビア(9.1%)
2位 ブルガリア(9.6%)
3位 デンマーク(10.4%)
4位 スウェーデン(12.0%)
5位 チェコ(12.8%)
ラトビア人かマルタ人のどちらかが、自分の知っていると思っていることを、本当は知らないということになります。
もう一つ微妙な切り口の質問があります。
「9・11のアメリカへのテロ攻撃は、アラブ人のグループが実行したというニュースが報道されています。これは本当だと思いますか」
アメリカや日本では本当であると答える人が多いと思いますが、イスラム諸国では少し違ってきます。 本当だと答えた人は、インドネシア20%、クウェート11%、パキスタン4%だったそうです。では一体だれが実行したのかという質問には、イスラエル人、アメリカ政府、イスラム教徒以外のテロリストという答えが多かったのです。
「知っている」ということは、政治的見解や宗教観、人生観や周りの環境にも色濃く影響されます。また、自分の金銭的・政治的利益を増やすためや、地位や名誉を維持するために自説を発信する人が世の中にはうじゃうじゃいます。更に厄介なことに、多くの人が自分の知っている以上のことをいつも知ったかぶりしているので、問題はますます大きくなります。
多かれ少なかれ、マウントの取り合いのようなことは起きています。あるいは、知らないと立場上言えないと考えている人が多くいます。そんな世の中に身を置いていると、心が病んできます。 世の中知らないことだらけなんです。1を知れば10知らないことが増えるんです。もうこればっかりはしょうがないんです。
あなたがやらないといけないことは、「知らない」と言うことなんです。
私が使ってるLinksアプリでも、投げ銭のやり方やKudoの仕方など知らないから教えて!と言える人と、言えない人がいます。誰かに教えてもらうことを恥だと思ってはいけません。年下の人に教えてもらうことを恥だと思ってはいけません。 「知らないなんて、自分はなんてダメな奴なんだ…」と理想の自分像を壊してしまいましょう。そんなもの1銭の価値もありません。
知らないことを必ず存在するという事実を受け入れることで、理想の自分と現実の自分が可視化され、次の行動ができるようになります。 「知る」の本質は、「知らないを知る」ことなんです。無駄に傷ついたり、自己肯定感を下げるのは、これで終わりにしましょう!
あなたは、本質を知ったのですから!