本を読むのは好きなのですが、読むのがめちゃ遅くて、しかも、睡魔に襲われる特性も持ち合わせている関係で、なかなか、読み進められません。世に言う積読家で、コロナで自宅にいることが多くなり、解消されるかと思いきや、時間があっても結局進んでないという悲しい現実に直面しています。
そして、今日、コロナ明け初のブックオフに行ってきました。私がブックオフに行ってチェックするのは、本棚も見ますが、ワゴンに入っている本をよく眺めています。「○○円均一!」「特売!」や単なるあまり?として置いてあるなど本のジャンルと関係ない括りで集められた本たちを眺めています。たまにセレンディピティな出会いをしたときは勢いそのままで本を購入して、積読してしまいます。
ふと我に返り、この積読を解消すべく、何かいい方法はないかなぁ?と思ってググってみたところ、予想外なものがぞくぞく出てきました。「積読」で検索上位3位に出てきた順に並べてみます。
と、まあ、ここぞとばかりに積読を称賛する記事が出てきたので、積読って解消すべきと一方的に思っていたことを改めなくてはいけなくなりました。
これらの記事をざっと見たところ、3つ目の記事が要約してくれてましたので、引用してみます。
積読が良いことである理由
・本は買わないと手に入らなくなる
・買わなかった本のことは忘れてしまう
・本には持っているだけでプラスになる面がある
・本を買うことは買い支えることに繋がる
現代社会が積読を否定したがる理由
1.消費社会の文化様式
2.暗記を重視する教育の弊害
3.文学という分野の衰退
4.経済に関する直感的すぎる理解
詳細は各記事に譲るとして、積読には知識を得る以外にも意味があるという辺りが積読肯定意見なのかなと思いました。ただ、積読を放置して忘れてしまうと、これらの主張は全く意味のないものになってしまうので、気を付けるべきは「忘れること」なのかもしれません。
最初の記事では、
本当に大切なのは「積読を減らす」ことではなく、むしろ「積読を活かす」ことの方なのです。
‥省略‥
大切なのはなるべく目のつきやすいところに、なるべく多くの積読を配置しておくということです。目につくことろに積読を置くべき理由は、脳のプライミング効果という仕組みにあります。
と言っています。さすが、東大教授は根拠をしっかり持ってきますね!
ついでに検索上位4位にnote記事がありましたので、勝手に引用^^。この方もなかなか面白い解釈をしています。
積読の良いところを見てきましたが、残念ながら、電子書籍が流行っているこの時世では、積んでいるのは電子書籍だったります。欲しいものリストに積んでしまうと「積読が良いことである理由」の後半2つは満たしてなかったりします。
そこで、今までのリアルな本の積読と、電子書籍における積読を分ける意味で、リアルな本の積読を積読1.0、電子書籍の積読を積読2.0と名付けようと思います。
この2つの良いところ、悪いところに関しては、学術的・統計的な分析ができないので、多くは語れません。それに、正直、個人個人がどう考えるかだと思っているので、ここで偉そうに色々書くのも違うと思うので、今までの積読とは違う積読があるんだということだけ、覚えて帰ってもらえればいいかなと思います。
ということで、本題です。積読2.0でも、忘れることが一番よくないという部分は普遍だと思うので、動機が不純ですが、積読解消をするために、読書会でもしてみようかと思ってみました。名付けて「積読会」。
積読会では、同じ本を積読している人たちが集まり、1章ずつ同じ章を読んできて、その内容をシェア・議論し合う会を考えています。同じ章でも人により解釈の違いがあるので、より深く理解できると思います。(議論メシの読書会ゼミに酷似してると思われる方!そっと心にしまっておいてください)
あるいは、事前読書は無しで、集まった人たちで1冊の本を30分で好きなように読み、読んだ内容や感じたことをシェア・議論しあう会というのもいいですね。(ペア読書というのに酷似してると思われる方!ペアとは言ってないのでセーフです)
ただ、この積読会ですが、肝心かなめの積読要素が希薄な気がしていて、どうコーディネートしたものか困っています。
ということで、ひとまず、こんな視点で考えてみようと思っています。
「どのような積読会なら積読の山をみんなで越えていけると思いますか?」
この議論テーマに興味を持たれた方は、私とディスカッションしましょう!そして、一緒に積読の山を越えてくれるメンバー募集しています!Facebookの方に連絡いただけると反応早いです。