こんにちは、noteにて、「あなたに出会えてよかった」
というお題があったのでそれについてALISでも書いていきます。
それは父親です。
丁度、16日が父の命日にあたる日で、最近ずっと考えていました。
父が30歳の時に僕は生まれ、57歳の時に亡くなりました。
正直いうと、父の職業柄、思い出というのは、ほぼ記憶にないです。
僕と同じ、焼鳥屋でした。
僕は父が亡くなった後に、そのお店を継いだのです。
父との思い出はたまに連れて行ってくれたスキー、BBQ、サッカー観戦(1回だけ)くらいしか本当に出てきません。
実際はもっと色んな所に行っていたかもしれないですが。。。
父との会話も全然と言っていいほど覚えていません。
はっきり覚えているのは、癌が発覚して、入院中お見舞いに行ったとき
「癌がなおったら一緒に焼鳥屋してくれないか?」という言葉。
初めて父が僕を頼ってくれた日でした。
涙をこらえて、「うん」と返事。
すごい嬉しかった。
そして、父は一度は退院したものの、手術中にミスがあったみたいで、
それが原因で帰らぬ人になりました
父は僕と一緒に焼鳥屋をやろうと言ってくれたものの、
自分に何かあった時の為、
入院中に
秘伝のタレのレシピ
塩コショウの配合
オリジナルポン酢の配合
等々、父が培ってきた当店のレシピを書いて残してくれていました。
これは本当に僕にとって大切なものです。
これがなければ父と同じ味は出せていなかった。
この味があるから、父の時からの常連の方々は変わらず来てくれる。
常連の方から厳しい意見もいただいた事がありますが、それも僕を思って事。
それも父親が残してくれたもの。
父は本当に沢山の物を残してくれました。
数えきれないくらいに。
今年で父から受け継いで、7年が経ちます。
父と同じことをしていても、父を超えられないと思い、
自分が今まで経験した自分の色をお店でだしていきました。
僕はカフェのキッチンで働いていたので、その時の僕の色を
父の色に混ぜていきました。
焼鳥屋なのにパスタ、アヒージョ、グリーンカレーと・・・。
変わらず来ていただける常連様もいましたが、
その混ぜ合わさった色を毛嫌いして来なくなった常連の方も正直います。
よくわからない色になってしまったのかもしれない・・・。
正直、売り上げが悲惨な日もありました。
しかし、僕は混ぜ続けました。
3年前、そのことが関西ローカル「ちゃちゃいれマンデー」で取り上げらることになりました。
今まで綺麗といえない色だったかもしれませんが、
その色の配合がまとまったのか、鮮明になってきました。
それもこれも全てはこの店を築き上げてくれた父のおかげです。
テレビをみて、また来ていただけるようになった常連様もいます。
今でも立地が悪いので、新規のお客様があまりこないので、悲惨な日もあります。
でも、だいぶ綺麗な色にまとまって来たと思います。
そこにこれからも様々な色を混ぜてばん吉の新しい色を作っていきたいと思っています。
本当に感謝しかないです。
本当の「ありがとう」は「ありがとう」じゃたりないんだ。
といった歌があるように本当に感謝しきれません。
産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
焼鳥屋の息子でありがとう。
ありがとう。
さよなら。
ありがとう。
僕の存在を必要としてくれているお客様がいる。
それも父のおかげ。
本当にありがとう。
あなたに出会えてよかった。
僕がいる。
ありがとう。
ばん吉 斧渕