※この記事には強力な私見バイアスが含まれます。
推し。
これは最近においてよく聞く言葉かもしれないが、この推しを語る上で過去長く見られてきたのが「誰を推すか」である。例えばそれはアイドルだろうしインフルエンサーだろうし、芸能人かもしれない。しかし、その「誰を推すか」というのは、あくまでも推し文化の一面に過ぎない。
ここでは、そのような「誰を推すか」ではない「推し」について解説していく。
誰を推すかも重要な要素だが、それはあくまでも彼らについていろいろと知っていることが前提となる。そのうえで、「推せるか推せないか」というのをぼんやりと決めていくように思える。
しかし、たとえ誰か一人について様々なことを知っていても推しを楽しめるかどうかはわからない。そもそも「誰を推すか」は、どちらかといえば積極的に自分からアプローチしていくような推し方であり、自分の行動次第によって推しの度合いは変わってくる。しかし、様々な情報が飛び交う現代において、自主的な推しよりも偶発的な推しのほうがおもしろく感じられることもないではない。
例えば、とある有名なインフルエンサーが、まったく異なる分野で活躍する有名人とコラボしていた場合、「あの有名人とこの人がコラボする?!」といった感じで、驚くこともあるかもしれない。推し文化そのものが、10人いるなかで、推すならばこの人、というようなカオスからの選択を表しているようなものだから、コラボそのものを推すことはないように思える。
しかし、例えば有名人や推せる人が何人もいて、彼らが網羅的に様々な人とコラボしていく場合、「数多くの絡みの中の推し」という概念が生まれる。これはA×B×C
の組み合わせは推せるけど、D×E×Fは推せないという、コラボ推しを意味する。
誰を推すか、から誰と誰のコラボを推すかになり、その次にコラボで生まれる何の会話を推すか、という会話推し文化が生まれてくる。
しかし、コラボ推しと会話推しは、必ずしもそこにいるすべてのプレイヤーについて熟知していなくてもできることから、より簡単な推しであることがわかる。
そこにいる人が推しかどうかというよりも、何を喋っていて、彼らの雰囲気はどのようなもので、それは自分が「良い」と思えるかどうかが、会話推しの特徴の一つと言える。
この会話推しが強いところは、推しのロスがなくなることだ。これまで、誰かを推すことは同時にその誰かが、別の世界に行ってしまうというロスを内包していた。しかし、会話や雰囲気だけを推す場合は、それがロスする確率はかなり低いものになる。
例えば、CRCUPというクレイジーラクーンが主催しているAPEXの大会はまさに会話推しの様相を呈しているといえる。明らかに所属も分野も異なるプレイヤーがAPEXという共通点のみでAPEXをプレイする。しかし、ご存じの通りAPEXは静かに厳かにやるものであるという決まりはなく、あまたのコミュニケーションが展開される。
そこでは、誰を推すかというのも機能するかもしれないが、どちらかといえば誰が誰とどんな会話をしているのか、も推しえるポイントになってくる。最近の切り抜き文化の隆盛によってさらにそれが加速されているようにも思える。
ここでは、会話推しや雰囲気推しを一つに紹介したが、もしかしたら今ではそれ以上のボトムアップ型エンタメがあるかもしれない。