※この記事には私見が含まれます。
FPS(ファーストパーソンシューティング)ゲームはこれまで非常に長い時間コミットしたゲームジャンルの一つだろう。メタバースの良さに気づいたのはGTAVだったが、FPSは脳死しながら毎日深夜3時くらいまで友人とプレイしていた記憶が残っている。
ただ、FPSは2017年ごろからバトルロワイヤル形式路線に潮目が変わり、それまでリスポーン回数に制限がなかった形式から、一回やられたら終わりという形(ラストマンスタンディング)のものにはやりが変わっていった。
FPSは脳死でやってしまうと負け続けてつまらないものになるが、集中してきりの良いものとしてとらえられれば、非常にエキサイティングなゲームである。
とはいえ、それらFPSはすべてPAD(コントローラー)でやっていたために、パソコンを使ってこなかったというディスアドバンテージに気づいたのは20回目の誕生日を超えてからだった。
PADが悪いとは言わないが、パソコンに出会った時のPADに対する印象はがらりと変わったことを覚えている。なぜ今まで、これほどまでに重要なものを触ってこなかったのかと。
それはまさに、パソコンだけにはとどまらなかった。ゲームは確かに面白くあるが、面白くあるためにそのほかの世界を知らないままになるという脆弱性をはらんでいる。
もしもゲームを知らないで過ごして来たら、まったく異なる面白さを見出していただろうと思うばかりである。
最近のFPSブームは確かにバトルロワイヤル形式に移り、過去のFPSを思い出す間隙もないほど様変わりしている。しかしそれでも、FPSブームというものが過去に一度もなかったことを考えれば、この変化は夢かと思うくらい信じられなくもある。
もちろん、このようなブームはあと1年くらいでなくなってしまうように思える。エフェメラルだが、FPSはもとからエフェメラルなんだなと思えば、なぜFPSがむずかしいのかがわかる気がする。
そして、ブログというタイピング本位のゲームは、FPSよりも遥かにノンエフェメラルであり、移り変わりが少ないものだということも知ることができた。