科学。
それは日夜更新される革命の記録簿、といっても過言ではありません。しかし、21世紀の現在に至るまで多くの発見が失敗によってもたらされてきたわけですが、それによってなし得られた「成功」といわれるのもそのものに、なぜプラスのイメージしか付きまとわないのかはいまだに謎としか言えません。
例えば、原子力工学などは過去において華々しい実績を上げたともてはやされていました。一時期における原子力工学は、物理の花形のようにとらえられていた一方で、今はどうでしょうか。見る影もありません。
例えば、いまのIT産業もそうです。これはいい面しかないように思えますが、本当にIT化、デジタル化はいい面ばかりなのでしょうか。
何かしらの発見や進歩は、景気つけるためにどうしても華々しく見せたがる性格がありますが、実際何をしてもマイナスな副作用はついてくると考えています。それがプラスにとらえられている限りです。
そんなことを言うと、ただのやっかみでありへそ曲がりだと思うかもしれません。たしかに、祝うべき時に祝えなかったり、うまくやるべきときにあえて下手な言動をかましたりするのは得策とは言えず、最終的にマイナスにとらえられることもあるでしょう。しかし、事実として本当に祝われている対象が祝うべきものなのか、考えられる生命体として、素直に納得しないというのは別段おかしいことではありません。
おかしいかおかしくないかはさておきます。なぜなら、二元論では決着がつかないからです。今勢いのあるコンテンツもいつか勢いがなくなる時が来るでしょう。しかし、それはそのコンテンツの死を現すとは限りません。コンテンツの解釈にもよりますが、まるで零点振動が起きているかの如く、また消え失せたコンテンツが盛り上がることはあります。
例えば、最近流行りの80年代ブームなどがそれでしょう。80年代の文化は80年代に人気があったのは当然ですが、その後徐々に不人気になっていたわけで、だからこそ90年代、00年代と見たこともないコンテンツがはやったわけです。しかし、2020年代に再び80年代コンテンツがはやったりしているのは、それらが根絶やしにされたわけではなく、今の時代でも通用する要素を当時から持っていたからにほかなりません。
今後、日本は確実に衰退していきますが、その衰退した先の時代で、また隆盛することはあるでしょう。かつての明が滅び、アヘン漬けになった清が、現代中国のように発展しているようにです。
移住するなら、という話がたまに出ますが、個人的には「今調子の悪い国に行くべきだ」と考えています。例えば北朝鮮、イラン、ソマリア、トルコなどです。ロシアもありかもしれません。とにかく、悪い国、というのは今後マイナスになる可能性もありますが、総じてプラスに転じる可能性のほうが高いのは言うまでもありません。それは今の時点で悪いからです。
今の時点で悪い国が、今の時点でGoodとされている国よりも悪くなることは相対的には低いでしょう。それは逆もしかりで、今良いとされている国のほうが、将来的に悪くなる確率は、今悪いと言われている国よりも高くなります。これは相対的な話ですが。
それは現代物理学全体にも言える気がします。今の物理界隈でいろいろな発見があります。こと物理学においては、「世の中に役立つかどうか」という視点はあまりないように思えます。物理学者が考えているのは「この世をいかにして説明するか」であり、「便利な道具を提供する」ことではないからです。
便利な道具を提供したいという人がいた場合、その道具が便利ではない可能性も十分にあります。便利ではないどころか死をもたらすこともあるでしょう。それは、道具によって寿命が延びたことに対するアンチ的側面だといえます。
同時に、この世をいかにして説明するか、というのは、説明できるかどうかという意味でのアンチパターンがあるはずであり、それが「何も理解できない」ということです。それが何を意味するのかは分かりません。しかし、物理学を勉強し何かを理解するということが、どのようなプラス的側面とマイナスな面を持っているのかは把握しておくに越したことはないでしょう。
サイエンスは日進月歩かもしれませんが、同時に大きなリスク、債務も膨れ上がらせているのかもしません。