最近考えていること。
結論:グーグルは将来、文書作成ツールになる?
とんでもない一日だ。NFTを50個くらいミント&セルしてOpenSeaから離れようとしたら、一通のメールが届いていた。
あぁ、あの記事執筆応募が通ったのか。そう思ったが、内容は全く異なるものだった。
一度落ちた面接が再度通っていたのだ。でも、それは内心では少し「どうでもよくなっていた」ものだった。自分が最も興味あるのは、いまは記事の執筆でありNFTだ。Crypto Boyで馬鹿にされて献金ビジネスとしてBoysが搾取される中、めちゃくちゃだとおもいながらYoutubeをつい開く。Twitchはだめだ。あれは確かに「面白かった」が、正直Youtubeのほうが見ごたえがある。完全に価値観が古い。
1か月前にTwitchというものを知って1か月で飽きた。とはいえ、TwitchやYoutubeを労働をするわけでもなくただ見ているとVtuberやYoutuberがそこまで奇をてらった性格をしているわけではないことに気づく。
その期間にブログを書いていたが、コツコツと伸びていった。AmazonやSolanaのような急展開的な成長はなかったが、明らかに伸びてはいた。一応、転職活動という名で過ごしていたため、ブログの更新は一度止めた。ここで、コツコツとコミットすれば成し遂げられることを知った。
まだ行ったことのない領域にも、いけるのは真実だ。しかし、いつ何時も、その領域はなくならない。なくなるときはいつなのか。正直言い切るのは好きではなくて、「真実かもしれない」くらいが気持ち的に楽だったりする。
すべてをボトムアップさせていく、という意識で生きていると、やはり一点特化型で生きているよりも効率が悪く、伸びも悪い。一か月でやめてしまったブログが、まったく息をしていないのは、更新をしていないからだ。それは、確かにあのときやめたものだった。
何かを成し遂げるには、時間と労力がいるのはなんでもそうで、それは誰にでもできる。しかし、成し遂げるもののスケールによって、誰でもというわけにはいかなくなる。それはいくつかの選択の先にあるからだ。そんなことを考えて勝手に絶望している時間を生み出していた。
クリプトの話の種を探していると、どうもインターネットには限界があるように思えた。新しい情報はもうGoogleにはなく、検索結果全体にも断片的にしかない。あと数年すれば、パソコンもなくなるだろうし、宇宙産業の発展が恋しくなってきた。
しかし、宇宙産業もバイオテックも3D印刷もWeb3も、それぞれ分野ごとに情報を探っても理解度や知識がないと何を言っているのかがわからない。そして、最も重要なのは「情報」ではなく「何をしたいのか」であるということで、それはグーグルのような検索エンジンにはない。なぜないのかといえば、検索結果全体は、何をしたいのかを実現するものではないからだ。
そう考えると、なんで毎日グーグルに文字を打ち込んでいるのかわからなくなる。
努力には価値があるけど目的がなければそうではないのかもしれない。グーグルは将来、スプレッドシートとドキュメント機能しか残らないんじゃないかと思った。