良い香りだ、白いカップに紅色が映えるなかなかの茶葉を使っているみたいだな。こんな極寒の地、月の裏側で手に入る物なのか紅茶って?それにちゃんと、作法通り茶器は温められているしどこで紅茶道を学んだんだろうか?
「もしかして、アラク・アウカマリさんは地球に行ったことがあるのか?」
「いいえ、地球の知識はここから眺めて学んだだけですよ。それから私のことはアラクでいいですよ、リュラーン皇子は我が主の大切な方なんですから」
そう言えば姉もこいつも俺のことを前世のリュラーンと呼ぶが今の俺は乱導竜だ、まあ今さら言っても宣なきことだが。
「どう、お口に合うかしらリュラーン?そのクッキーも食べてごらんなさい」
「ああ、美味いよ姉さん」
「そう、良かった。私が焼いたわけじゃ無いけどね。アラクは何でもできるのよ」
「我が主、何でもはできません、出来ることしかできない不器用なので・・・」
「ふふ、あなたが不器用なら宇宙に器用な人は存在しないわね、きっと」
姉がお茶の香りを楽しみ、嬉し気に笑う姿。今まで夢にも描くことも出来なかった光景が目の前にある、それがいつ終わるかも知れず、残酷な結末も影を散らつかせているが。
「しかし、姉さんがこんな近くにいるとは思わなかったよ。月に来れば姉さんを取り戻すための手掛かりくらいは入手できると思っていたけど。これまで酷い目に遭ってきたが結構、俺も運が良かったのかな?気の迷いとか、間違って火星を目指さなくて良かったよ。本当に・・・」
姉が何か言いたげな悲しい目をして顔を伏せる。
アラクが黙って、紅茶のお替わりを姉のカップに注いでいる。
「運?そうね、私もリュラーンももしかしたら運がいいのかもね。こうして果ての地にて再開を果たせたのだから。でも、見たでしょう、あのキリュウを。
私の精神はズタズタに壊されたわ、奴らによって。身体を汚され、精神を侵され奴らが飽きるまで何年も私は辱められてきたわ。私が辛い記憶と体験に耐えられなくなって創り出した人格があの残念なキリュウよ。
それにさっきも言ったように、もう既に私の人格の主導権は十パーセントも残っていないわ。それにそう、本来なら私の人格はは従属的な立場だから、断片的な知識と経験しか感知できないのだけれど」
「はい、私が我が主の欠落した経験を我が主が目覚めたときに補完しています。お辛いでしょうが、それが壊れた流刑船の中で我が主が最初に発した命令でした」
残念な方の姉の人格も理由を聞いてみれば憎めない気もする。だけど、どうすれば元の姉さんに戻すことが出来るんだ?
「ふふ、そんなのは簡単なことじゃ。弟にして我が夫リュラーンよ、我を幸福にすれば良い」
「そんな簡単なことも分らないの、困った子ね。私を幸福にすればいいのよ」
残念な人格のキリュウが、憧れの姉が自分こそを幸福にしろと要求を叩きつけて来る。俺に逃げ場はないか、手段はわからないがやってやる最愛の姉さんを俺は取り戻す!