着る服が無〜い。
クローゼットには、
ギチギチに詰まったごとく
服が有るにもかかわらず。
季節の変わり目にそう感じる人は多いと思います。
以前、断捨離のやましたひでこさんの言葉
◇◇◇◇◇
無いのに有る。
有るのに無い。
言うまでもなく、断捨離の考察は
このような矛盾から始まる。
「着る服が無い」と嘆いているのに、
実際には、着られる服はクローゼットに有る。
しかも、たいていの場合、ドッサリと。
正確に表現すれば、こうなる。
今、私が着たいと思う洋服は無く、
かつて、私が着たい思っていた洋服が有る。
これは、時間軸のズレ。
今、私が価値を見出す服は無く、
かつて、価値があると感じていた服が有る。
これは、時間の経過とともに
気持ちが変化している証拠。
かつては、それが有ったかもしれない、
けれど、それは今は無い。
私の心の中は、「無いという思い」でいっぱい。
クローゼットの中は、「有るという事実」でいっぱい。
おそらく、私たちの日常生活は、
このような相反することが、
そこかしこに起きているのでしょうね。
こんな状態で、
ごきげんな気持ちでいるのは、
簡単なことではなく。
こんな状態で、
ごきげんな暮らしをしていくには、
容易なことではなく。
なぜなら、小さな不機嫌の積み重ねが、
大きな不機嫌の塊となっていくのだから。
心の中と現実の不一致。
その不一致の大きさ、
つまりは、使えはするけれど、
使いたくもないモノたちが、
大量に堆積すればするほど。
その不一致の長さ、
つまりは、使えはするけれど、
使いたくもないモノたちが、
長期間堆積すればするほど。
私たちを不機嫌にする要素が、
大きく、そして長く存在することになるのです。
どうでしょう。
関係が終わってしまったモノたち、
さあ、あなたはどうしていきましょうか?
その問いかけを、
自分で自分にするのが断捨離なんですね。
◇◇◇◇◇
断捨離と言うとなんでも捨てるのでしょうと言う方もいますが、
関係が終わったモノはさようならする
自分が心地よく、少ないものでも豊かさを感じる
シンプルな暮らしを送っていきたいですね✨