今日は僕の大好きなお笑い芸人の一人である志村けんさんが亡くなったことが話題になって思い出した高校の時の話をします。
僕は高校の時、めちゃくちゃ尊敬できる先生が二人いました、どちらの先生も言っていたことを時々思い出します。というか、この二人以外のセリフを思い出すことがほぼありません。今日はそんな先生のうち最初に出会ったほう、一年生の時の担任で国語の教諭を務めていた先生の話です。
先生は鉄人のような人間でした、朝四時に起き夜十時にねる、起きている時間は仕事、勉強、鍛錬、家族にすべて費やすような人間でした。先生は生徒と接する時必ず線引きをしました、近づきすぎず、離れすぎず、そんな生徒との距離を保つところも先生のいいところだと思いました。
先生が言った言葉のいくつかは今でもよく思い出します。今回、少しシチュエーションが違うのですが、先生が授業中に引用したヒトラー(僕の記憶が正しければ)の言葉を志村けんさんの死亡ニュースとその後のネットや友人の反応を見ていて思い出したました。
言葉はこうです、「一人の死は悲劇だが、大勢の死は統計でしかない」です。
たしかに、その時思った記憶はありますが、今実感しています。
イタリアで死んだ一万人はただの数字なのに日本で死んだ一人の人より悲劇的に見えます。
もちろん、彼のほうが身近で昔からみんなに知られていてそれで騒がれている部分がほとんどだと思いますが、先生の言っていたことが思い出されました。
1人が死んだ後ろのストーリーを追う方が人間は、死者の数を発表されるよりはるかに、心に悲劇として刻まれるものなのでしょう。
人間は論理だけでは生きられない、人間は合理的な判断を下し続けるような生き物でもないということを実感します。
ヒトラーはこのことをわかっていたのですね。