前日の大嵐でぬかるんだ山道をしばらく進むと、丘の上の見晴らしのいいところへ出た。
下を見下ろすと青く澄んだ海と大きな波が見えてくる。
更に暫く進むと幾つかのテントや大きな青いタープが見えてきた。
ようやくレインボーギャザリングにたどり着いたようだ。
僕は今まで20回ほど世界各地のレインボーギャザリングに行ったことがあるのだけど、今回のは、今までで一番しんどい道程の一つだ。
自分の腰痛のせいもあるが、荷物の量も多く、言葉が全く通じない国をキツキツのバスを乗り継ぎ、大嵐の中びしょ濡れになってバイクでやって来た。最後はぬかるみの中、足を取られないように裸足でジャングルの山道を突き進む。
なんとか、とりあえず無事に着いた。
でも、雰囲気が何かちょっと変だ。
大体のレインボーギャザリングでは、ついた瞬間にみんなからウェルカムホーム(お帰りなさい的な意味)と声をかけられ、歓迎のハグを受ける。
だが今回はみんなよそよそしく重い雰囲気だ。
大して挨拶もなく他人行儀な感じ。
こっちで会う予定だった18年来の古い友人の日本人K君が通りかかったので話しかける。
久しぶりの再会で嬉しいんだけど、何か素っ気ない。全体的に気まずい雰囲気が漂っている。
噂に聞いた、嵐で溺れた人の話を聞いてみる。
一人が海で溺れかけていて、それを助けるために海に入った人が更に溺れて、そして更にそれを助けるために。。。
そんな感じで昨日は5人が海で遭難して死にかけて、そのうちの一人は偶然の幸運で命が助かったとのこと。
なんか似たような話が数ヶ月前にもあったような。(過去記事)
昨日の大嵐はここでも猛威を奮っていて、全てのキャンプサイトも、レインボーギャザリングの象徴である大きな焚き火も洪水になって水たまりになっている。
しかもその上、昨日の海難事件やら嵐やらで溜まっていたわだかまりがぶつかり合い物凄い言い争いもあったらしい。
レインボーギャザリングには個性の強烈な人達が集まって来るので、仲のいいときは血の繋がった家族よりも深い関係になるし、仲の悪い時は運命の宿敵のような激しい喧嘩になる。
更に聞いていくと、本来ギャザリングの場所を見つける予定だった人が中米からボートでインドネシアまで来るつもりだったんだけど、お金が無くて来れなくなった。
代わりに開催場所を見つける任務を担ったセイリングボートクルー(タイのコパンガンで久しぶりに再開した。こちらの記事を参照)はボートの故障で遅れて到着したために場所探しをすることができなかった。
通常のレインボーギャザリングなら3ヶ月ほど前には場所が決まっていて1ヶ月前には準備期間に入るはずが3週間前になっても全くどこで開催するか決まっていない状態だった。
結果的にギャザリングの始まる3週間前にギャザリング設置の準備を手伝いに来たKくんが中心になって場所探しをすることになり今の場所を見つけたらしい。
世界中にいる経験豊かなレインボーギャザリング経験者の中でもトップの経験者に入るKくんが全体をリードしてなんとか場所探しと場所決めをしたのだが、そのプロセスもなかなか大変だったらしい。
時間に押されている状況で経験豊かな故に強引にリードしたKくんとインドネシア人のレインボーファミリーとの間で仲違いがあったらしく、殆どのインドネシア人のレインボーギャザリング経験者はここには来ないという決断をしたらしい。
なんだかんだと問題が山積みになっている。
とりあえず初日は疲れたので、次に大嵐が来ても洪水にならなそうな場所にテントを張って休むことにした。
つづく。。。
次回は、開催日が近づいても準備が進まず、人がどんどんやってきて混乱する話です。
(この記事は2017年9月10日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。)
過去記事と自己紹介はこちらからどうぞ。