ここ数日の出来事をシェアしようと思います。
去年から何度かルーマニアン・ゴット・タレントっていう結構有名らしいタレントオーディション番組への参加に勧誘されているんだけど、毎回勧誘されるたびに断ってたんです。全然興味ないし面倒くさいし、今でも十分に人の注目を浴びていて、今生きていくだけのお金もあるので。
でも、数か月前からさらにしつこく勧誘されるようになってきてて、あれ、もしかしたらこれはもっと一般社会に出て自分自身をシェアする機会の宇宙からの招待状なのかな、なんて思うようになったんです。
それで、2ヶ月ほど前に第一次オーディションに参加しにティミソアラまで行ってきました。友達のアパート(元自分のアパート)に置きっぱなしになっていた荷物も取りに行かないといけなかったので、まあ、ちょうどいいタイミングかなと。
ちょこっと演奏したら気に入ってもらってオーディションに受かり、その後ちょっと離れたところでインタビューと演奏の撮影。
その時に思ったんだけど、ああ、もしかしたら彼らは僕のビデオを宣伝用に取りたかったのかなと思い始めるようになりました。ヘンテコな日本人がヘンテコな楽器を演奏しているとテレビ的にも面白い絵だと思うし。
でも、このオーディションが終わった後から、僕は真剣に考え込むようになりました。この方向性って本当に僕が行きたい方向なのかな? 自分は本当は何をしたいんだろう? 有名になりたいの? 自由を失うリスクと引き換えにいっぱい稼ぐ?
分かってるのは自分自身を芸術として表現したいと言うこと。それをみんなにシェアして知って欲しいという事。それにたくさんのお金を持つのも楽しい。
でも、有名になってどこに行っても人に見られるのとかはゴメンだ。すでに今住んでいる街でもかなりの割合の人が僕の事を知っていて、顔を指されるような面倒くさいことがテレビとは関係なしに起こりつつあって、どうしたもんかと思っていたところだ。
街の人に顔を覚えられるというのはストリートミュージシャンの宿命なのでどうしようもないけど、放っておいてくれと思う事が多々ある。
このときは結構真剣に悩んでいて、自分の中心の部分に向き合ってた。あれくらい悩んだのは3年ぶりくらい。どっちの方向に進みたいのか?
一週間の混乱と思索の末にたどり着いた結論は、僕は有名にはなりたくない、でもこのオーディションはみんなに僕のアートを知ってもらいお金もたくさん稼げるいい機会なので受け取ることにする。
僕の持ってる全ての集中力と努力をこのオーディションに向けることに決めた。
でも、一歩引いて出来事を俯瞰しながら、いつでも様子がおかしくなってきたらその状況から抜け出せるように気をつけながら。
このブログを書き始めたのも今回の混乱と結論に導かれた結果。
自分自身を正直にありのままに表現して、みんなにシェアしたいと言う自分の中の思いへの向き合い。
でも、それと同時に匿名性をしっかりと守って公私の別をはっきりさせる。
ここ数日の間ルーマニア首都のブカレストにオーディションとレコーディングのために出かけてきました。
最初からこのオーディションには受かるんじゃないかなって思ってて、でも次のオーディションは無理だろうなと。なにせ僕はルーマニア人ではなく、所詮テレビのおまけのスパイスみたいなもの。
結構長い時間を待ってインタビューとコマーシャルを収録した後、ついに僕のステージで演奏する順番が周って来た。すごい量の照明が僕に向けて照らされ、審査員と観客の目が向けられる。
自分に出来る限りのことをした。100%ではないけれども80%くらいの表現はできたと思う。僕にはそれで十分。自分の表現に満足しています。思っていたよりも緊張したけど起こりうる失敗の可能性ほど悪くはなかった。
審査員4人のうちの3人のYESをもらえば合格で第3次オーディションへと向かい、Yesが足りなければここで失格。
僕の演奏には二人の審査員がYESと言い、一人の審査員が僕に自由でいてほしいという理由でNO、もう一人の審査員がこの後2回あるオーディションでの大きな展開が期待できないと言う理由でNO。
予想していた結果と違って驚いた。僕の予想は単なるエゴの妄想の産物。でも全然嫌な感じはしなかった。自分の演奏には満足出来ていたから。
その後家路に向かう途中、何時間かした頃から段々と気分が高揚してきた。というのも、この後いついつまでにルーマニアに帰って来なければ行けないとか、書類やら何やらの面倒くさい未来のことを考えなくて済むから。
そう、僕は自由! 誰も僕がどこへ行こうと大して気にしないし、ただ純粋に宇宙の流れに従って行ける。
ブカレストでは、友達のトランスパーソナル心理学博士の所に泊めてもらった。彼はDMTと言う向精神薬と宗教的な悟りとの関係を科学的に研究していて、霊性を科学的に説明できる貴重な人材。
僕の得意分野の話題でもあるのでいろいろと興味深い話ができた。そっち方面の話も追々ブログに書いていけたら良いなと思ってます。
学者兼社長でもある金持ちの彼が宿泊する場所と食事のみならず、レコーディング費用まで奢ってくれることになって、気持ちよくレコーディングする事も出来て、かなり満足のいくブカレスト訪問だった。
ちなみにこれとこれがその時にレコーディングした音源です。良かったら聴いてみてください。
数時間電車に揺られながら首都ブカレストから僕の住む街シビウへ。数日間の首都訪問もひと段落し、愛しの子猫の待つ我家へと帰ってくる。
部屋へ入ると一緒に住んでいる子猫による予想したとおりの散らかりよう。
でも、予想と違うのは僕の荷物が戸棚から出されてまとめられていること。誰かが部屋に入ってきて荷物をまとめた? なんで?
もしかしたら同居人がやったのかと、一瞬頭をよぎる。
同居人の彼は家主の従兄弟で、街に出稼ぎに来ている間、一時的にこの家に滞在している。
彼とは同い年なのだが、社会主義下の山奥の山村で半生を過ごした人と、大阪で生まれ育って、半生を世界中を旅して過ごしている人では、かなり大きな感覚の違いがあって、お互いに共同生活が難しい面があった。
プライバシーの感覚などもその一つで、彼の価値観にはプライバシーという概念が存在しないみたいで、プライベートなスペースが欲しいという僕の望みが伝わりきらず、僕の部屋への立ち入りを禁止にするというルールを作らなくてはいけなかったりして、ちょっとギクシャクした関係になっていた。
彼はルーマニア語しか話さず、僕はルーマニア語を話せないので、会話は英語とルーマニア語を話す人が家にいる時か電話している時だけという限られた部分でしかコミュニケーション出来ないのも、仲良くなりずらかった理由の一つだ。
二ヶ月前に僕がこの家に来た頃、この子猫に関して同居人とちょっとした意見の衝突があった。
家主がドイツに戻る数日前に捨てられて病気がちだった子猫を道端から拾ってきた。家主は僕に病気の子猫の面倒を見てほしかったみたい。
暫くの間、同居人が世話をしていたんだけど、そこは閉じられた玄関の部屋で暗く狭く寒い。そこには食べ物はあるけど愛はなかった。
僕はそれを見ていて、あまりの愛の無さが苦しくて、子猫を自分の部屋に連れて行って一緒に遊んでいた。
でも同居人の彼はそういうのが好きじゃなかったみたい。彼にとっては猫はネズミ捕りのための家畜でペットとしてではないという考え方。
意見がぶつかってどうしようもないので、僕達は家主の意見を伺うことにした。家主の家と家主の猫。家主がどうするか決める。
結果、家主は子猫をペットとして飼って一緒に家族として住んでほしいとのこと。
僕は一応家主に床や家具に傷がつくかもしれないけど、本当にそれでも良いかと確認し、家主もそれを認めた。
僕の荷物がなぜ纏められているのかは謎だが、とりあえずお腹が空いているので、何か食べてから考えることにした。
食事の準備をしてる間に同居人がやってきて誰かと話すようにと電話を持ってきた。
その電話は僕の友達でもあり、家主の親友でもある、家の管理をしている女性からで、家主が僕が留守にしている間に家に帰ってきて家の散らかりようにショックを受けているとの事。
確かにとんでもない散らかりよう。僕がブカレストに行っている間に子猫がお腹空かないようにと大量に与えていたキャットフードが散らばっていたり、退屈しないようにと部屋の家具を移動させてジャングルジムみたいなのを作ったりしたので、突然部屋に入ると余りのカオス具合に驚くのが普通の反応だ。
僕は木曜日に家を出て家主が金曜日に来ているので、その24時間の間に子猫がやりたい放題やったのは想像に難くない。
家の管理人が言うには、家主は部屋の散らかりように酷く怒っていて僕とは会話したくもないし、会いたくもないとのこと。ただ純粋に僕に出ていって欲しいとの事。
え、、、ま、、まじで、、、??
確かにこの散らかりようは申し訳ない、文句なしに酷く散らかっている。だからこそ子猫を家に入れる前に確認してたんだけどな。。。
子猫に最大の愛を注ぐことで、ただで住ませてくれている家主への恩返しにしようと思い、僕にとってそれは子猫をかごに入れずに自由な遊び場を作ってあげることだったのだが、残念ながら良かれと思ったその行為は裏目に出てしまった様だ。
本当に今すぐ出ないと行けないんですか?
たったいまブカレストから長時間かけて電車で帰って来たところだし、家には結構な荷物がある。これから2週間後の東南アジア旅行に向けてゆっくりと片付けていくつもりで、とても今すぐ一人で担いで出て行けない。
家主と僕の間に立って連絡を取っている管理人の女性が、僕に平謝り。
そのことは本当にごめんなさい、家主に何度も言ったんだけど彼女はものすごく怒っていて僕とは全く話したくない、とのこと。
こっちも居候の身でこれ以上、友人でもある管理人を困らせても仕方がないので、わかりました。大丈夫です。今すぐ家を出ます、と。
家の散らかりようは本当にごめんなさい。でも僕は家主が寛容に家にただで住ませてもらえたことに本当に感謝しています。
その後は地元の友人に連絡して荷物を運ぶのを手伝ってもらい、しばらく友人宅の物置に荷物を置かしてもらうことに。これで一応全て一段落。
今は街のホステルのドミトリーでこの記事を書いています。。。ふぅ。。。
この突然の出来事には、かなり混乱してショックを受けた。確かに部屋は散らかっている、そこには何も言い訳できない。でもそこに住んで生活している人間を放り出すほどのこと?
落ち着いて会話してその後に僕が全部きれいに片付けて次の日に家を出ることも出来るのに?
どうして昨日の内にに教えてくれずに帰ってきた直後に連絡くれるの?
次の2週間後のタイへのフライトまでどうしようか???
まるで恋人のように愛おしんだ子猫と一緒に最後の楽しい時間を過ごしたかった。。。
結構いっぱいある自分の荷物をなんとかしないと。。。
ありとあらゆる感情が押し寄せてくる、でもこういう状況で一般的に起こって来るような嫌な感情ではなかった。多分それは僕が家主の怒りを理解したからだろう。
部屋は間違いなく酷く散らかっていた、猫が家に入る前に家主にした念押しは弱かったのかもしれない。
それに僕と家主はほとんど繋がりを持ったことがない。常に管理人が間に入って連絡を取り合っていた。家主は僕を個人的に知らないので、頭のなかに僕に対してものすごく悪いイメージを作るスペースが有った。
今回ブカレストから帰ってから一緒に会って僕が寿司を作ってごちそうする予定もあったんだけど、時すでに遅し。。。
そして、次の日の朝。
昨日はホステルのドミトリーでよく寝た。朝に瞑想して昨日起こったことを消化し、昇華させた。
全てが終わった今、僕は家主が僕のことを知りもしないのに寛大にも家に住ませてくれたことに対しての感謝の気持ちに集中することにした。
もちろん他にも色んな感情があるんだけど、でもどちらかと言うとポジティヴな気持ちを楽しみたいので。それに、これは多分僕を次のステージに連れて行くための流れなんだなと、都合のいいように考えてみる。
オーディションを通らなかったのも同じような話で、僕は何かを失ったけどそれは実際には手を空っぽにして次の物を掴むためのもの。
僕は楽観的で馬鹿な男でしょうか? たしかにそうかも。。。
このブログの未来の記事であなたなりの答えを得るでしょう。
つづく。。。
次回は、家を追い出された後に友達の家に遊びにいって楽しく暮した後に、飛行機でタイへ旅立とうとするも、移民局の罠に引っかかり拘束されるという話です。
(この記事は2016年11月10日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。今後はアリスを中心に活動していこうと思っているので応援よろしくお願いします。)