今から10年ほど前、カンボジアで数年暮らしていました。
カンボジアの中の奥地ラタナキリという場所で、森に住んでいる山岳民族 ”ジャライ族” と関わる生活をしていました。
彼らはつい最近まで文明と隔絶した生活を送っていました。
ですが近年に開発の波が彼らの住んでいる森林地帯まで及んできて、現代社会に適応せざるを得ない状況に追い込まれてしまっていました。
家や生活スタイルは伝統的なままですが、一般のカンボジア人と接触が増える中で、中古の服、お菓子、そして携帯電話まで生活の中に入ってきました。
まるで縄文時代の生活をしていた人たちが、文明の進化の過程をすっ飛ばして、ある時から急に携帯電話を使うようになった、そんな状況でした。
それが今から10年ほど前のことです。
その過渡期のジャライ族と関わった経験が、今の自分にとっても大きな財産となっています。
初めてジャライ族の村に行った時、彼らの村で一週間ほど生活を共にしました。
当時はまだ電気もなく、もちろんトイレもないので、森の茂みで用を足すような生活でした。
ですが一部の家にはガソリンを使った発電機があって、そこでみんな携帯を充電したりしていました。
村の中心には井戸があり、男の人も女の人も一緒に水浴びをしていました。
普段は森の中で野菜を作ったり、森の動物や川魚を食べています。
村人はみんなジャライ族独特のデザインのバスケットを背をって畑仕事に行きます。
冬はこの地域でもかなり冷え込むので、朝と夕方は、焚き火の周りに人たちが集まってきます。子供たち、お年寄り、子ぶた、子犬、アヒルが、みんな一緒に集まります。人間と動物の区切りは、なくなっています。
ある日村の人たちと一緒に焚き火にあたっていると、隣にいた男の子がトカゲの丸焼きを分けてくれました。味は薄くなんだかパサパサしていました。
ジャライ族はアニミズムと呼ばれる純粋な精霊信仰の人たちです。
すべてのものに精霊がやどると考えていて、夢でみる精霊のお告げを通して、村の重要な決定をおこなっています。
呪いの文化も残っています。
部族には黒魔術師、白魔術師もいます。
病気になったときには、家畜を生贄にささげます。
村の近くに森の中にはお墓があります。
お墓の周りには、不思議な彫刻がたくさんあります。
彼らは人が死んでも肉体がなくなるだけで、本質はそのまま存在し続けると考えています。
この彫刻は生と死の連続性を表しているそうです。
人間、動物、植物、生、死、精霊、悪霊、村、森、水、火、すべてが連続して溶け込んでいるような村です。
初めて村をおとづれた時から、そんな村に興味を惹かれました。
彼らジャライ族と関わる中で、色々な経験をさせてもらいました。
これから時々紹介していきたいと思っています😊