
瞑想をするために目を閉じて座ります。
毎回様々な体験をします。
その全てが完璧な瞑想です。
瞑想体験に優劣はありません。
多くの場合経験するのが思考や雑念。
基本的には雑念が湧いてもただそのまま放っておきます。
やってきてはさっていく雑念をそのままにします。
これも完璧な瞑想。
時には雑念だけではなく、色々と嫌な感情が湧いてくる場合もあります。
感情が湧いてきても普通の思考や雑念と同じで、抵抗せずに放っておくのが基本。
過去の未消化の感情をしっかりと感じ切って解放する絶好の機会。
ですがあまりにもしつこい感情が湧いてくる場合もあります(瞑想中に限らず)。
どこからやってくるのかわからないような根深い感情は本当に辛いです。
自分でもどうしてそんな気持ちになるのかわからないし、苦しいし。
感情の理由を分析してもなかなか助けにならないし、どうしようもない感覚は増すだけ。
そんな場合は、例外的にその感情を解体してみるのもいいかもしれません。
決して分析するのではなく、感情そのものを微分するように。。
1回目の微分 (メンタル的な思考の次元→粗大なエネルギーの次元)
感情が生じる時、多くの場合過去の記憶や考え事とセットで湧いてきます。
様々な記憶とともに生じる感情を、記憶やストーリーではなくて感情そのものが持つ触感に意識を向けてみます。
すると感情の正体は、記憶や思考とは完全に独立しているただのフィーリングだと気がつきます。
なんとなくモヤモヤする感覚だったり、体の部分の不快感や緊張感だったりします。時には吐き気だったり、頭痛だったり。
感情を記憶や思考のレベルではなく、エネルギーそのものとして感じます。
このエネルギーは粗大なレベルで、不快感や摩擦が伴うエネルギーの次元です。
感情が肉体レベルで深く染み付いていることがわかります。
感じれば感じるほど、さらに深い記憶が湧いてくるかもしれません。
記憶や思考が湧くたびに、記憶や思考とエネルギーを意図的に分離して、エネルギーだけを感じ続けます。
このプロセスは延々と続きます。
これで感情そのものが解体されることはないかもしれません。
ですが相手の正体を知った上で、それを少しずつ感じることができるようになると思います。
それを感じるたびに、根深い感情のエネルギーは氷がゆっくりゆっくり解けるように小さくなっています。
自分も瞑想中は、この粗大なエネルギーのレベルで感情をエネルギーとして感じることが多いです。
不快で本当に辛い感情であっても、それを感じた後に微細なスペースが生じて、そこから気持ちが少しずつ楽になることもあります。
そうすると、さらにもう一度微分をするゆとりが生じます。
2回目の微分 (粗大なエネルギーの次元→微細なエネルギーの次元)
感情のような粗大なエネルギーの背後には、さらに風のような微細なエネルギーの流れがあります。
今度はその微細なエネルギーに意識を向けてみます。
慣れないと感情などの粗大エネルギーのパワーが絶大なので、すぐに微細な次元から粗大な次元へと引き戻されてしまいます。
ですが繰り返すうちに、次第にこの微細なエネルギーの次元にとどまれる時間が長くなっていきます。
この微細なエネルギーの流れを、光の瞬きだったり、爽やかなバイブレーションとして感じてとても心地よい瞑想ができる次元。
この次元では、多くの情報や洞察が潜在的に含まれていて、それが直感として得られる場合もあります。
3回目の微分 (微細なエネルギーの次元→0)
微細なエネルギーの次元のさらに基底にある静寂の場。
一見何もない静寂、あるいは真空のような感じがするのですが、全ての情報やエネルギーが潜在的な含まれている場です。
瞑想の最中にこの段階に入ると、ただ眠っているのと同じような感じになることが多いです。
やがてこの状態に馴染んでくると、知覚やマインドが独自のやり方で0次元を知覚するようになります。
広大な感覚だったり、自分と周囲の境界線が消失したり、さらに拡大したり、色々と。
そして意識がどんな状態であっても、自分の存在の基盤は常にこの0次元にあるという確信を得ることができます。
エネルギーの次元の段階は、アジアなんかに広まっている五大元素の考え方と多くの共通点があります。
次回はそのことを書いてみたいと思います😊












