私は高校生の頃(25年ほど前)に、写真はインターネット経由で誰でも簡単に配信でいる時代が来ると確信していました。そして、20年ほど前にHTMLの専門書を片手に試行錯誤しながらはじめてWebサイトに写真をアップしたのです。その後、当時全盛期だったメールマガジン配信サービスを使い。毎日9枚の写真と私日記を書いたHTML形式のメールマガジンを配信していました。
20年以上、インターネットを使った個人配信の最前線を渡り歩いてきたのですが、5年ほど前に気が付いたのです。私はSNSが苦手です。そもそも、文字中心のコミュニケーションが苦手。
文字情報だけのやり取りだからこそ、起こってしまうすれ違いが怖いのです。
それでも、私の写真集のファンを積極的に獲得するためにTwitterに絞ってSNS活動を再開しました。そのような中で感じたことの一つを愚痴ります。
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私がツイートした内容に関するコメントについて、愚痴ります。もちろん、コメントを頂いた方に悪意があったわけじゃないことはよく理解しています。でも、アホか?と突っ込みたい気持ちでいっぱいなんです。
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コメントを入れてくれた方が日本人かどうかはわかりません。多分違うと思います。少なくとも日本人でこんなに直接的な単語をコメントする人にはあったことがありません。
日本人じゃなかったとして、わざわざ日本語でコメントしてきたあたりに、とっても不快感を感じたのです。
"What's it, Meal?" と書きたかったのかもしれない。書き間違いは特に問題ないです。でも、これは写真の内容に対しての質問なのです。
私がこのツイートに書いた一言は"Pseudonym : Suicide meal"。つまり、「仮名:自殺食」です。これに対する質問なんです。
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ここより先は、本格的な愚痴です。
SNS時代になり、画像や動画や音声が文字に続くコミュニケーション手段の道具となって、15年近くが過ぎました。
コミュニケーションツール時代の写真には、「情報」「イメージ」の伝達が必要です。そして、SNS時代においてplus「目立つ」必要があります。
同時に、写真を読み取る側にもこれらを受け取る感性が必要なのです。
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個人の感性の枠の中だけの発言。自分に理解できないものを考えることなく他人に依存する発言。
このようなコメントに振り回されるのは本当に心が疲れます。
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