「将来の夢は?」
子どもの頃によくこのような質問を投げかけられたことだろう。
大人になった今でも、「何かやりたいことあるの?」と尋ねられる機会がある。
何の変哲もないような質問に思えるが、先日上司からやりたいことを問われた私は咄嗟に言葉が出なかった。
なぜなら私自身もそのやりたいこととやらを知りたいからだ。
子どもの頃は皆後先何も考えずに、「お花屋さんになりたい」「パン屋さんになりたい」「仮面ライダーになりたい」「大きくなったら○○くんのお嫁さんになるの〜」とあれこれ言うことができた。
では大人になった今は?
大人になってから「仮面ライダーになりたい」「○○くんのお嫁さん」なんて言うものなら、非現実すぎて笑われるのがオチだ(叶う確率が全くないわけではないが)。
大人になって現実的にこれがやりたい!と思えるようなことがあるのだろうか。みんなが皆夢ややりたいことを持っているのだろうか。
「うーん………具体的にこれがやりたい!ってことは正直思いつかなくて…何がやりたいんでしょうね。今はただ目の前の仕事をやっていく、本当にただそれだけです。自分に何が向いているとか向いていないとか、得意なことも苦手なことも私にはわかりません」
こう答えるしかなかった。
続けて、
「でも、私の周りの人たち(今の職場の先輩方)はみんな優しく接してくださるので、その人たちには迷惑をかけたくないなとは思っています」
これが現状伝えられるところでの本音だ。
本当は「近い将来こんな仕事をして、10年後にはこうなっていたい、だからそのために今はこの仕事をして経験を積んでスキルを磨いて…」とか言えたら良かったのだろう。
あの時の私は嘘でもこのようなことは言えなかった。
そもそも、我々は子どもの頃から
「夢を持ちなさい」「目標に向かって努力しなさい」
などと言われてきたが、夢や目標ってそんなに持たなくてはダメなのだろうか?
もちろん、夢や目標があること、そしてそれに向かって努力をすることは素晴らしいことだとと思うし、それが実現された時や達成出来た時の喜びや感動は計り知れないのも知っている。
でも、夢や目標は必ずしも叶うものではないのも現実としてある。その時人は大きな苦しみや挫折を経験することとなる。
その苦しみや挫折が後の人生経験の糧となると綺麗事じみたことを言われているが、どんな場面においても本当にそう言えるのだろうか?
いや、人生経験の糧となるという点については同意できる部分もあるが、大きな何か、例えば健康な体や周りの家族や友人、愛する人を失ってしまっては取り返しがつかない。
私自身が苦しむ分には勝手に1人で苦しんどけとしか思わないが、私のことを大切に思っている周りの人間にはなるべく苦しい思いはさせたくない。何なら一瞬たりとも苦しんでほしくないとさえ思う。
やりたいことってどうしたら見つかるの?
やりたいことってなきゃダメなの?
やりたいことがなくて何が悪い?