川越熊野神社は埼玉県川越市連雀町に鎮座する神社です。蓮馨寺の二世然誉文応僧正が天正18年(1590年)に紀州熊野より勧請しました。川越熊野神社と蓮馨寺(れんけいじ)は通りを挟んで向かい合っています。天正18年は豊臣秀吉の小田原攻めが行われ、徳川家康が関東を領地としました。江戸時代の川越熊野神社は蓮馨寺の一部でしたが、明治2年の神仏分離によって独立しました。
参道の両脇には足踏み健康ロードがあります。異なる形状の石が敷き詰められ、その上を歩くことで足つぼが刺激され、健康促進に繋がります。色々な形状の石が埋め込まれており、靴を脱いで歩くと足つぼが刺激されます。かなり痛く、歩き通せる人は猛者の証。その痛みこそが、心身の浄化と共に成長へと繋がります。
川越熊野神社の社紋は八咫烏です。提灯に八咫烏が描かれています。神話では神武天皇を大和の葦原に案内したとされます。八咫烏には足が三本あります。三本の足は天(神)・地(自然)・人を意味し、神と自然と人は同じ太陽から生まれた兄弟であることを表しているとされます。中国の神話にも太陽に住む三足烏が登場します。共通のテーマが見られることが興味深いです。
境内には、なんとデフォルメされた漫画チックな八咫烏が姿を現しています。黒と金のペアになっています。これはまさに神聖な雰囲気とユニークな要素が融合した象徴であり、神社の伝統と現代の融合を感じさせます。神話や歴史の中に息づく神秘的なエネルギーを感じつつ、笑顔と楽しさも同時に味わえることでしょう。境内に響く笑い声と幸せな気配は、訪れる者たちに心地よい神聖なひとときを提供します。
境内社として厳島神社(銭洗弁天)が祀られています。宝池があり、ザルの中にお金をいれて柄杓で水をかけたり、ザルを池に入れたりして洗い清めると福銭になります。普段のお金が神聖な福銭へと変貌する瞬間を味わうことができます。洗い清めたお金は持っていても良いですし、有意義な買い物に使っても福が来ます。神聖な水によって浄化されたお金は、善意を持って使われることで更なる幸運が訪れます。
熊野神社の勧請元である熊野三山は、平安時代に皇族や貴族の熱烈な信仰を集め、その歴史は荘厳で重厚なものとなりました。上皇(法皇)の熊野御幸は、宇多院の延喜7年(907年)に初めて行われ、熊野三山の崇敬を一層高めました。熊野信仰は政治の要人達によって重んじられ、その影響力が拡大していきました。
宇多院は、院政の先駆者の面を持ち、その政治手腕は高く評価されています。しかし、昌泰2年(899年)の出家後は仏道三昧となり、政治が疎かになりました。昌泰4年(901年)の昌泰の変では政治手腕を発揮できず、菅原道真が冤罪で左遷される悲劇を止めることができませんでした。
NHK大河ドラマ『光る君へ』第一回「約束の月」でエクセントリックな東宮として登場した花山院も熊野御幸を行いました。花山院は天皇時代に荘園整理令や武装禁止令など意欲的に政治に取り組みました。しかし、退位後は政治から離れた仏道三昧となりました。この時代は政治権力と仏道がトレードオフの関係でした。
NHK大河ドラマ『光る君へ』住まいの貧困と権力の横暴
熊野御幸は白河院、鳥羽院、後白河院、後鳥羽院の院政期が有名です。この頃になると宇多院や花山院とは異なり、上皇(法皇)は政治権力を維持しながら熊野御幸を繰り返しました。平清盛は熊野詣に出かけた隙を突かれて平治の乱を起こされましたが、帰京して乱を制しました。院政期になると熊野に出かけることは政治的ハンディにならなくなりました。
光る君へと鎌倉殿の間の川越八幡宮
冤罪繋がりの畠山重忠と道場天満宮
鎌倉殿ゆかりの大宮氷川神社で初詣
鎌倉殿ゆかりの鎌倉大仏