神社仏閣アドバイザーのhideです。
千葉県成田市に、日本一職務質問される神社があります。ご存知でしょうか?
その名も、
成田空港からの行き方、なぜ東峰神社ができたのか、そして現在はどうなっているのかをYouTube動画でご紹介しています。よかったらご覧ください!! そして、この動画かなり長いです(汗)25分ありますが、前半5分は飛ばしてもいいと思います!
それだと、ただの宣伝になってしまいますので(笑)
ブログの方は補足情報も交えてご紹介していきます。最後まで読んでください。
今回のテーマは、
①なぜ職務質問されるのか?
②誰が何のために建てたのか?
③伊藤音次郎とは何者なのか?
①なぜ職務質問されるのか?
冒頭で、東峰神社は日本一職務質問される神社と書きました。実際には過去形で、日本一職務質問される神社でしたが正解。もしかしたら今も不動の一位かもしれませんが、ひところよりは職務質問されなくなりました。私も撮影で訪問した際は、特に何も言われることもなく、警察もやってきませんでした。
ではなぜ、職質されるのか?
(フェンスでまわりを完全包囲されています)
すぐ真横を離着陸するための誘導路が通っており、ひっきりなしに飛行機が横をかすめていきます。
ここは、かつての成田闘争において空港建設反対派が待ち合わせ場所にしていたところ。現在でも、空港会社に買収されることなく、公共の土地として残されている。だから、警察はじめ、空港会社委託の警備員が目を光らせているのです。
10年程前には、境内に入っただけでパトカーが駆け付け、身分を詮索、身体検査されてしまうようなところ。怪しさ満タン!うかつに近づきたくない場所でした。
近年では反対運動も下火になり、境内を監視する防犯カメラや人感センサー、不定期で巡回している警備員による監視で十分のようです。でも、常時監視されていると思うと、ここが神社なのかと疑問に感じます(笑)
②誰が何のために建てたのか?
元々、成田空港ができる前は農地が広がっていました。戦後になってから入植した開拓農民たちの住む村だったわけです。農民たちが合同で建設をしたのが東峰神社です。皆さんの街にも小さな神社とかあると思いますが、たいがいの神社は地元の有志たちが合同で造ったものです。境内地は、「合同で土地所有」したり、「宗教法人として土地所有」したり、「私有地を貸与」していたり、様々なケースがあります。当時の空港公団も宗教施設だからという点で強制代執行には及びにくかったのだと思料します。
農家を営んでいる方ならわかると思いますが、豊作を願うために様々な工夫をするわけですが、現在でも神様や仏様への信仰を大切にしている方が多い。田植えの前の祭り、収穫を祝う祭り、様々な祭礼が日常的に行われる文化です。
当然、成田に住んでいた農家の人々も、みんなで神社を作って五穀豊穣を願おうと考えた訳です。
東峰神社を設立しようとした際、一つだけラッキーなことがあった。
それは、伊藤音次郎さんという農家の方が、敷地内に私的な神社をすでに持っていたこと。それならばと、伊藤さんの神社を発展させる形で再整備をした。それが東峰神社であります。
③伊藤音次郎とは何者なのか?
では、伊藤さんはなぜ私的な神社を持っていたのか?元々この方、日本の民間航空界の大家でした。大正時代に伊藤飛行機研究所というパイロットや整備士を養成する機関を設立しています。
若いころから飛行機に関心を持ち、民間飛行士第二号となって活躍、自ら航空機を設計したりしています。
ところが、まだこの世に登場したばかりの飛行機ですから、事故はつきもの。試験飛行などで多くのパイロットを失うことになりました。この中に、伊藤さんの子息はじめ、伊藤飛行機研究所のメンバーもいた訳です。
伊藤さんは、そういった航空事業で殉職された方々を弔う意味で、研究所内に神社を設けていました。その名も「航空神社」!
伊藤飛行機研究所は元々、千葉市美浜区にあったようですが、やがて習志野市津田沼に移転。ちょうどそのころ、終戦を迎えることになる。
GHQから民間航空事業を禁止され、空の交通はすべて米軍下に委ねられることになりました。職を失った伊藤さんは、再起を図るために千葉県成田市に移住。家族総出で農家へと転向したわけです。もちろん、津田沼にあった航空神社も成田へ移してきておりました。
これが、伊藤家に神社があった理由です。
この航空神社が元となり、東峰神社へと発展。激動の成田闘争を迎える!
実は、この時アナザーストーリーがあります。空港建設反対派が力をつけ始める中、伊藤音次郎さんはもろ手を挙げて喜んだそうです!! 日本の航空事業が益々発展してほしいと願った彼は、死に物狂いで耕した開拓地をいち早く供与。空港建設に大賛成しております。
すでに村の共有物になってしまっていた東峰神社は、そのまま残されることになります。空港建設反対派のたまり場、武器の隠し場所、交渉ごとのカードとして使われることになってしまった神社の境内・・・。
伊藤さんの死後、御親族の手によって東峰神社のうち、航空神社の神様だけを別の場所に移されています。
現在の、航空科学博物館屋外展示場に航空神社はあります。
今も空の安全を見守り続けているんですね。
空港は私たちに便利で快適な空の旅を提供してくれます。しかし、同時にその下には農家の人たちの汗水垂らした田畑があった訳でもあります。お金で解決を図ろうとした政府は、高圧的な態度で交渉に臨む。農家の人たちの気分を害するような物言い。さらに時代の流れも合いまって、左翼系過激派集団が反対派に肩入れをするという異常な構図もできあがり、まさに泥沼の様相を呈して成田空港はできた訳です。
お寺や神社を紐解くと、地域がどのような歴史をたどってきたのかが分かる!
神社仏閣アドバイザーのhideでした。