神社仏閣アドバイザーのhideです。
日光東照宮って何だっけ?そんな疑問にお答えしていきます。
まず結論から、
そして、字を読むのが面倒な方はYouTubeに動画もあります(笑)ご自身のペースに合わせて早送りしながら視聴ください。標準速度でも10分です。
まあ、動画の宣伝だけだと怒られそうなので、文字情報も充実させます!
テーマは
①なぜ日光を墓所に選んだのか?
②世界遺産「二荒山神社」と「輪王寺」と東照宮
③キーパーソン明智光秀
①なぜ日光を墓所に選んだのか?
徳川家康は三河国(現在の愛知県)出身、幼少期は度々人質に出され駿河(静岡)や尾張(愛知)で暮らしています。豊臣秀吉が天下統一すると、関東に移封され以後は江戸で暮らし、老後は再び駿河で隠居生活をしていました。
私なら縁もゆかりも無いところに墓所を建ててほしいとは思いませんが(笑)
では、家康の家族や親類縁者が日光出身なのか?いいえ違います!
しかし、家康は存命中から「日光」に埋葬するようにと二代将軍秀忠(子)、三代将軍家光(孫)に遺言を残しています。
計画的に日光へ移ることを決定していたのです。この「日光墓所計画」事業を推進した人物が、
という二人のお坊さんです。なんだよ!坊主かい!って、当時のお坊さんをナメてはいけません。江戸時代まで、神社よりも寺院勢力の方が強く、我々庶民にとってもお坊さんの方が身近でポピュラーな存在でした。
この二人のお坊さん、実は家康のブレーンであり、側近中の側近。天海に至っては戦場にも出陣していたのではないかと言われており、当時の絵巻物にも姿を見せています(しかし、真偽のほどは分かりません)。
政治、軍事、宗教改革、朝廷コントロールなど、様々な分野で家康に知恵を吹き込んだのがこの二人。重臣たちも一目置く存在となっていました。
家康のプライベートなことを相談できるのも、当然この二人。死後の墓所問題について、様々な角度から検証することにしました。家康は自分の墓所を選定する際に、平和で、いつまでも繁栄していく国を見守りたいという思いがありました。そこで、日光が選ばれる訳です。
江戸の真北(北極星があり、不動の位置。平和と繁栄が不動。風水的な要素。)
霊験あらたか(男体山や女峰山がある。宗教的な要素。)
以上の理由から日光が選ばれました。
②世界遺産「二荒山神社」と「輪王寺」と東照宮
先ほど、霊験あらたかという言葉を使いましたが、実はこの日光、、、
東照宮が出来る前からお寺と神社が元々ありました。それが、輪王寺と二荒山神社です。現在は東照宮とともに世界遺産に指定されています。
ではなぜ、ここに社寺があったのか?
それが、男体山や女峰山という日光連山。もともとこのあたりの山々では「山岳信仰」がさかんでした。山岳信仰とは、神仏が山に宿り特別な力をもってしてこの自然界を治めているから、崇めてその霊力を民に還元してもらおうという信仰です。古代から日本に根付いている信仰です。その山岳信仰の聖地として栄えていたのが、日光であり、修行者たちのベースキャンプ的存在が輪王寺と二荒山神社です。
仏教系の修行者は輪王寺をベースに、神道系の修行者は二荒山神社をベースにしています。ただ、どちらも信仰していたのは山の神。方法は違えども、大切にしているものは同じということ。
家康の墓所問題の話に戻しますと、、、
霊験あらたかな聖地に神様として入っていくのが望ましいという考えです。家康は自分の功績を世に知らしめるべく、死後に神様になることを望んでいました。我が国では朝廷に神号を発行してもらうと神様になれます。とても簡単に神様になれる!過去に菅原道真、豊臣秀吉、織田信長など、数多くの著名人が神様になっていった経緯があります。また、朝廷の認可を受けずとも、地域住民が神様と崇めていくケースもあります。
脱線しますが、そういった理由もあり、お参りする際の神社の御祭神には要注意です!誰に対して手を合わせているのか?誰に対してお願いごとをしているのか?そういった点も考慮するとお参りが楽しくなります。
家康は死後に神様になるのだから、霊験あらたかな聖地の中、神仏が宿る場所に入って一緒になってもらう。こうすることによって宗教的な正当性を付与することができる。そのように考え、日光に選定されました。
③キーパーソン明智光秀
最後に出てきた明智光秀!記事違い?と思わせる名前ですね(笑)
あの織田信長を、本能寺の変で討った、明智光秀です!
実は、歴史オタク界の中で、
という説が信じられています。
この光秀さん、山崎の戦いの後に落ち武者狩りで命を落とすというのが通説ですが、実は生き延びていて天台宗のお坊さんになったという噂。出家した際に名乗った名前が南光坊天海!天海は江戸幕府が出来る前、日光山輪王寺で重職に就いていました!これは記録が残っています。天海が光秀なのかどうかは別として、輪王寺という寺に天海という偉いお坊さんがいたことは事実。
そうなんです!
家康に「日光ってめっちゃイイところっすよ!」と推薦したのが天海!
なるほどねえ!
更に、不思議なことに日光・中禅寺湖近くには「明智平」という地名もある。これはなぜなのだろうか?ますます天海が光秀なんじゃないかと、本気で信じてしまいそうになります。(諸説あり)
最後に余談ですが、私の出身地である東京都八王子市に江戸時代に「千人同心」という幕府の組織がありました。千人同心は、万が一西から反幕府勢力が進軍してきた場合を想定して編成された兵隊たちです。約1000人いましたので千人同心。
これが、江戸も平和な世になると、謀反も起きないだろうとなる。
そこで、手が空いた千人同心に与えた仕事が「日光勤番」
家康墓所の警備役として常駐させたんです。
ところが、これはなかなか大変ですよ!八王子~日光って、結構な距離があります。当番で警備をしますので、交代のために定期的に八王子から日光までを歩いて移動していました。
地元で警備員を採用すればいいのに・・・っていうのはナシですよ(笑)
またまた余談になりますが、千人同心の日光勤番はどれくらい大変だったのか?実験してみました。原付バイクで当時使っていた街道「日光脇往還」を忠実に通っていこうという企画をやりました。
こちらもYouTubeに動画があります。とても長いので、暇な時にでも見てみてください。ツーリング好きな方、旅好きな方には特におすすめです。チャンネル登録しておくと、後から動画を検索する時に楽になります!
以上、神社仏閣アドバイザーのhideでした。