小学生の頃は学校の校庭でよくクラスメートとサッカーしてました。
程なくしてJリーグ開幕して、約1年弱は観た気がします…あとスーファミのゲーム
これが、自我目覚める前後のサッカーとの関わり…
高校時代に2年間引きこもり
2学年留年して、誰一人友達作ること無く、高校生活終了(5年かけて)。
ライトな地獄の日々から、
大学生活、地元をでて、より田舎の地方大学へ。
はじめての1人暮らし、
親のスネかじりの4年。
大学在学中
2002年(日韓ワールドカップ)前後から
なんとなくオシャレそうなので、海外サッカーみはじめました。
(インテル、バルセロナ、アーセナルの3チームの雑食…)
1番面白かったのが、アーセナルでイングランドのサッカー、
サッカー熱はトシゴロによって違うけど、アーセナルは今も続いて約20年‼️
それから、5年ほど…社会にでて働いてお金貯めて、現地のサッカー見たくて、半年語学留学。
しかも、アーセナルがあるロンドンではなくて、何故かバルセロナ❗️
(当時は英語が当たり前すぎて、少し外してよりオシャレっぽいから→スペイン語)
(今から、たぶん15年前ぐらい
よくあんな勇気あったなとつくづく思う)
午前中、
語学学校
学校には日本人数人いるけど
クラスメートはブラジル人、スウェーデン人、ドイツ人、ポーランド人、アメリカ人…
しかも最初のクラスは8人中6人は女性…
しかも、美人が多い…
いない歴=年齢
の自分には刺激が…
彼らに連れられて、なんかディスコに行ったり…なんとなく踊ればいいので、話すより楽かも。
住まいは
ピソ(シェアアポート)
同じスペースで、フランス人カップル・スペイン人男とコスタリカ人女のカップル・イギリス人のおっさん(しかもアーセナルファン‼️)と生活。
みんな死ぬほど優しくて
「ウルルン滞在記」(古い)
を、じでいくかんじ。
お金も無くて、地下鉄料金節約の為、何時間も歩いたり(街並みが綺麗すぎて、あまり苦でない)
学校では、やっぱり、アルファベットが母語の人たちと比べまると、圧倒的に日本人は覚えるのが遅い❗️辛かった❗️
学生時代は常に中の上から上の下には入れた
私にとってはこんな経験始めて。さらに、多分、語学の才能も中の下ぐらいで語学学校の帰り道は毎日落ち込んでた気がする。
ただ、それでも周りの人はとても優しいし、
毎日、スペインの強い日差しの中で綺麗な街並み、歩いてたら忘れられた気がします。
ちなみに、肝心のサッカー状況は
サッカーの現地観戦は1試合のみ…
バルで数試合観戦(しかも飲食代はルームメイトの奢り)
草サッカー数試合参加(スペインでは女性も上手い人は上手い…当たり前)
毎日、自炊のパスタ、現地の野菜は大きくて安くて測り売り、
スーパーの店員やる気無さそう
お金無いから、たまの外食は中華レストラン
…量もあって美味しい。
地下鉄でスリに会ったり
ディスコの帰り 夜道に黒人男性にナンパされたり(私も男)
バレンシアでファジァというお祭りみて、そのまま野宿したり
と、まぁ、色々あって帰国
前述のスペイン人とコスタリカ人のカップルは泣きながら送ってくれた(今でも数年おきにメールくれる)
……
日本の印象は黒髪多いし、同じような人ばっかり(当たり前ですよね)。多様性の無さを視覚的に再確認…
正直、半年語学留学した程度では、スペイン語話せるようにならないし、今だに日常会話レベルで仕事にはいきない
日本人留学生の中でも中途半端な感じだし、帰ってきてもプライドだけ高くなって、履歴書変な空白出来るし…まぁ、実用的?では無い。
日本で「普通」のレール(そんなものはもう無いかもしれませんが)乗ってたほうがいい。
……
と、思い出したことをつらつらと書いてきました。また、書き足りないところは、後日投稿するかもしれません。
時代は変わったかもしれませんが、サッカーは世界共通で、
バルであった初対面のが人にサッカーの話きっかけで奢ってもらったり、
バルセロナで、日本のJリーグの話を中国人としたり、
あれやこれやで
世界は少しは広がったと思います。
ただ、それを見る自分の視野は、相変わらず、狭くなったり広くなったり閉じ切ったり…いまや見る影も無く
帰国して何年かは、また、海外に住みたい、みんなに会いたいと思ってました。今は、リタイア後に、何週間か住めたらいいなと思います(それも今や贅沢な話しです)
読んでもらえたなら
幸いです。