iPhoneの時計をみた。16時前。
池袋で次のサポートライブのリハーサルが終わった直後だ。
「むむむ、どうしようかな」
でも、何をするかは決まっていた。
先日、宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」をみて「どう生きるか」を真剣に考えていた。結論は「夏はかき氷をたくさん食べたい」になった。
SafariでChatGPTのアイコンを期待せずにタップする。
「東京で有名なかき氷屋さんを教えて」
あわわ…。
特に最後の「かき氷 一燈舎」。「一燈舎」という名称は以前にラーメンで同様の質問した時も返してきた店名だ。Googleに聞いても同名のラーメン屋は見つからなかった。もちろんまたGoogleに聞いてみたが同名のかき氷屋は知らないとのことだ。
質問が悪いことはわかりながら今度はSafariを立ち上げる。キーワードは「かき氷 東京」。頭を空っぽにしてページタイトルにしっかりと引っかかる。その中のページに気になるお店がひとつ。ひみつ堂。場所は日暮里。
向かう電車の中で日暮里駅からの道順を確認すると「谷中銀座」という言葉を発見。なんだかワクワクする。"銀座"という高級を連想する言葉と"谷中"という僕にとってまっさらなイメージの地名。1番好きな路線名の田園都市線と同じなものを想像した。
「食べ終わったらそこに行ってみよう」
長い列が思ったよりも早く解消され、リピートのために定休日を知りたくなる接客をするスタッフさんからカウンターにするか相席にするか聞かれた。
「おまかせします」
かき氷の写真を撮るのにさすがに相席の人を映すわけにはいかない。この写真でも美味しそうな金時の存在は充分に伝わるはずだ。
「むむむ。谷中銀座へ。」
撮りたい場所がたくさんあったが人通りもそれなりだったので気になるキーワードをメモる。
宇治抹茶かき氷、抹茶かき氷、日本唯一トルコランプ専門店、抹茶かき氷、モンブランどら焼き、かき氷…かき氷。
かき氷を出してる店がたくさんあるから後でChatGPTに教えよう。きっと以前のように「申し訳ありません。日暮里にはかき氷屋さんがたくさんあります」と返答するはずだ。小さな子供に言われた時に返す大人の「そうだね、いっぱいあるね」に似ている気がする。谷中銀座を後にしながらそんなことを考えながら先へ歩いた。
最初にローマ字の文字列が目に入った。その後真っ白な壁に均等なバランスの空間、大きなガラス戸。高校生の時に人の気配がなく自由を感じさせる空間が好きだったことを思い出した。ここは住居?お店?使われなくなった事務所?。きっとガラス戸を覗くと答えは今よりわかる。写真を確認した後すぐ先へ歩いた。
この角を曲がることにしたのはこの写真を撮りたかったから。色褪せた木の看板か道標、もしかするとレターボードかも。いや、全部混じってるようにも見える。舌を出す唇に気付いたのは写真を撮った後。どこのお店のものだろう。きっとこの壁の中に答えはある。でも答えは知りたくない。この風景から感じるものを自分で想像したい。本当のメタバースは頭の中だ。答えを知ると"マイバース"が消えてしまう。答えより楽しい僕の答え。すぐにここを後にした。
曲がるつもりはなかった。でもその看板に気付いた時にはすでに足取りはこの道へ。静かな裏通り。行き止まりの曲がり角の先は人通りが少なそうだ。まっすぐいこう。右手にこの景色を見ながら行き止まりから視線を左へ戻した時、見えた看板が僕を曲がらせた。レターボードひとつでこの場所が静かな裏通りから活気を感じる場所へと変わる。まるで歩くのを歓迎されているに思い上がりながら先へ歩いた。
その建物の左右に白い建物が並ぶのを右手に見ながら通り越した後に振り返った。煉瓦の赤色に日除けの緑色がこんなにも綺麗だなと思ったのは白い建物を両サイドにおいた偶然の演出家の手腕だ。煉瓦の暖かさと一階のお店の並びがより一層に人の交流を期待させる。ロボットの接客が当たり前になった時には本物の交流を感じるだろうか。この建物も煉瓦は表面だけで後ろは違う。ホログラムの映像に熱狂的に声を上げてライブを楽しむ我々は「本物」という言葉の意味はすでに変わっているのかもしれない。
左か右にしか道がないの真ん中を進みたいと思ったのは後にも先にもこの時だけ。少しずつ人気が出てきたこの通りのメッセージボードにある"COFFEE"の文字。これには来店を歓迎するカフェが近くにあることを意味する。そしてCAFEと書くよりCOFFEEと書く方がしずるを刺激する。つまりより一層に人を歓迎している。しかしこの景色からカフェはみえない。でもこの言葉に期待せずにはいられない。とはいえ答えは知りたくない。真ん中をあきらめ右を選択した。びっくりした。ボードを超えた左手にはカフェの入り口があった。答えを知りたくなくても知ってしまう時がある。それはそれでまた面白い。
大通りにでると人気多くなってきた。さっきまでの落ち着いた心地の良い世界から別の場所にきたようだ。不思議と悪い感じがしない。安心感があるのはなぜだろう。人気のない森の中でキャンプをした時にコンクリートを道を見つけたことがあった。その時に誰もいないその道に人を感じたことがあった。そんな感覚に似ている。そうか、僕はこの風景が1番安心するのか。
そろそろ写真を撮るのも終わりだなと思ったその瞬間にシャッターを押したのは、この景色の不思議さに吸い込まれたから。上を見てると地上に高速で落ちている無機質な非日常空間を感じる一方で、下を見るとお店の前を歩く人とコンクリートの道路による圧倒的な日常がそこにある。上なのか下なのかわからないこの景色を見ながら一人で笑ってしまった。その理由は"どっちでもいい"から。
「昨日の夕方に何をしてた?」
もし友人にそう言われたらきっとこう答える。
「何もしてなかったよ」
実際、何もしてない。日暮里から根津まで歩いただけだ。それを多忙の売れっ子ピアニストのように話せるスキルはどこにもない。
でもとても有意義な楽しい時間を過ごした。きっと誰にもわかってもらえないし、共感もされない。でも考えれば考えるほど、自分にとっての幸せなんて共感されることの方が不思議だ。コピーをしたような同じ感覚の人間をなんていない。他人が幸せに感じてるようなことを自分を行って幸せに感じるようにするのは考えば考えるほど不思議な行為だ。
でもそんなことは誰にも関係ないし、本人も関係ない。上でも下でもそんなことはどっちでも良い。自分が感じた感覚は大切にすることの方が何より大事。メタバースはそれを少し手伝ってくれる。マイバースは自分のお気に入りのインプットから感じて再構築されたアウトプットならなおさら最高だな。
金子将昭。ジャズピアニスト・ジャズピアノ講師。19歳でピアノを始めて現在は仕事になりました。毎朝YouTubeで雑談ピアノ練習配信1000日を超えました。↓チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )