モノを減らすコトが流行ってしばらく経つが、僕は何年も断捨離をしてきた。もうかれこれ10年くらいやってきた。
大量のものは必要ない、それでたくさん処分してきた。今では家に来ると人は大抵びっくりするが、断捨離が当たり前になったここ数年で僕はある時に気付いた。
モノを捨てることが大事ではない、そのモノについて何も語れないモノに身を包んでいることが問題だ、と。
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アイキャッチは僕がジャズを聴き始めたきっかけのCD。友人の家に行った時に流れていたアシッドジャズをジャズと勘違いして買ったCDだ。
そこでアシッドジャズを聴いていたら今僕はDJにでもなっていたかもしれない。
幸か不幸か今はピアノの仕事をさせてもらっている。
その時はハイスタンダードやブランキージェットシティ、ブルーハーツに慣れた耳には一曲目のマイルスデイビスは僕を激しく落胆させた。大人すぎてゾッとしたからだ。
「失敗だ、、」そう思った後、6曲目に流れてきたセロニアスモンクの曲を聴いて、その日から僕は彼のCDを買い漁った。
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モノへの執着を断ち切る、ポップに断捨離を行う時によく言われることかもしれない。仏教も持ち出すかもしれない。しかし、
大事なコトはそれについて語れるモノで身を包むということ。
逆に切ないのは語れもしないモノをたくさん所持することだ。
語れるモノは、そこに思い出があったり、誰かと何かを共有していたり、ストーリーがあったりと自身をそれだけで楽しくしてくれる。
そんなモノで身を包むから人生が楽しくできる。そしてモノ達はストーリーを伝えることによりあなたを教えてくれる。
自分の思想や価値観を伝えることは難しい、でも好きなモノ紹介するのは一番自分の好きを実現する簡単なコト。
語れるモノはそこにストーリーがあり、そのストーリーは自分の好きを映している。
そんな好きを紹介してたりすれば、自然とその人のことが難しいことを抜きにわかる気がする。
その純粋な気持ちに人は嫌な気はしない。YouTubeに動画があればついついみてしまう。そんな人には自分の企業の商品を紹介してもらいたい。
つまりこれからの大事な価値観の持ち方としてモノを捨てるのは全く意味がないと気付いた。
そもそも必要ないものはいつの時代も捨ててる。当たり前のことだ。
語れないモノは便利だったり、流行っているから持っていたり、時期が過ぎれば必要なくなるもの。
メルカリで売れるとわかればみんな売るだろうし、中古市場があるから試せなくても簡単に買える。
しかし、そんなモノで常に身を包めば、自分自身を見失う。そこに全く自分の意思がないから。
そんな人ほど自身の行動に分からなくなり悩む。何の仕事をしよう、転職はどんな職種が良いか、将来が漠然と不安、など。
悩むことで解決はしない。行動でしか解決しない。でもそれらは全ては好きを知らないから起こること。
好きを知り、答えを自分で見つけ、行動をしていけば、そんな悩みは自然と消化される。これはこれから楽しく生きるためのポイントだと思っている。
そのためには自分の好きと徹底的に向き合い、それで自分を作っていく。そうすれば自然と楽しくなっている。
つまり簡単にいうと、これから好きなコトだけすれば良い。よく、行間を飛ばして語られるこの話だから、自分なりに埋めるならこういうコトだと思う。
そんな僕もこうやって記事を書くのも意外と好きなのかもしれない。でもそのうち辞めるかもしれないし、わからない。
でもあえていうなら、僕なんかの記事を読んで良し、行動しよう、って動いた人がいたら僕は飛び跳ねて喜ぶ。
つまり好きなのだな。それは。
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ジャズピアニストかねこ