ぬいぐるみは部屋に3つまでと決めているかねこです。ゲームセンターで見かけてはつい欲しくなるのですが、自分を観察するとどうやらぬいぐるみならなんでも欲しいわけでないみたいなんです。
アイキャッチのぬいぐるみはカビゴン。これは「ぬいぐるみが欲しかったわけではなくカビゴンが欲しかった」。
一見普通に書いたような文章ですが、ここに大事な何かがあるような気がする。今日はこのことを頭の整理に書いてみたいと思います。
TwitterやFacebookでもちょこちょこ見かけるこの言葉。いつも疑問があった。恋人というフレームがあり、そこに入るものはならなんでも良いのだろうか。普通は恋人や結婚みたいな大きな決断なら、「僕は絶対その人が欲しい」となるのではないだろうか。少なくとも僕はそうだ。
もちろん誰でも願いが叶うわけではないが、かく言う僕も以前は大事なことを気づかないふりをして、フレームありきで選択することばかりをしていたような気がする。
「明日はアイスを食べたい。」これはアイスといフレームに入るものならちょっとの条件を満たせばなんでもいい。コンビニで手軽に手に入れられて、200円以内。チョコレート味が最適だけど、ミルク&チョコでも良い。だけど安いミルクアイスがあったらそっちへ。
食べればなんでも美味しく感じることができるから基本は大丈夫。それよりアイスを手に入れれることの方が優先。
しかし自身のライフスタイルに大きな影響があるようなものは必ず「それ!」と言うものを目指すようにしている。僕は身の回りの人や関わっている人、身近な人に良くも悪くも影響を受けると自負している。
ジャッキーチェンの映画を見たら次の日は悪い奴を倒しに行こうとする、こんな影響されやすい僕。だからこれに気付いてからはライフスタイルに影響する決定にはフレームありきにしないように厳しく決断している。
僕はリアルで会う人に「かねこさんははっきりモノを言う人だ」といわれる。しかし僕はどこでもはっきり発言しているわけでなく、場合によっては「かねこくんは寡黙だね」と言われるくらいしゃべらない時もある。
自分が責任を持てない現場では摩擦を少なくするよう、自己主張はせずにマジョリティの意見に従ったりもする。クライアントから依頼された自分が責任者の場合はチームでの最善を尽くす。
そんな僕がはっきりものをいっても問題ないという場合はストレートにいう。しかしそれはあなたが大切だからだ。大切じゃないと言わない。それで嫌われたら残念だけど仕方がない。と言うことで断捨離をする。
逆にはっきり言わない、ということはどうでも良いということの裏返しにも取れる。状況によりなんとも言えないが少なくとも僕がはっきりと発言している時はその人のことが大切だから。
それは、自分の身の回りの人は自身に影響を受けてしまうから。だからライフスタイルに関わる人への決断は絶対にフレームありきを使わないようにしている。
恋人や仕事、もしかしたら「子供が欲しい」もあるかもしれない。恋人がいて「あなたとの子供が欲しい」はわかるが、恋人がいない段階の欲しいはどんな状態なんだろう。子供というフレームにどんな条件が入るのだろうか。
それによりその人はどうなるのだろうか。その人の幸せの象徴が子供なのだろうか。そのために欲しいのだろうか。その発想は非常に興味深い。
「起業しようと思っています。」という人が何をしたいか言えなかったりすることがあるが、それに近いのかもしれない。いや、全然違う理由があるのかもしれない。実に興味深い。いつか聞いてみたいと思っている。
フレームに当てはまるものを選ぶのはとても便利だ。アイスはそれでいい。日常の小さなご褒美にいちいち意思決定で時間を使っていてはキリがない。閃きくらいでぱっと決める。
しかしライフスタイルに関わる人は影響を受ける。僕は富山県の高岡市出身だ。15万人くらいの小さな町で高校生まで暮らした。そのせいか田舎の雰囲気は大好きだ。変わらない毎日が大好きだったし、公務員になることが幸せと思っていた。地元では富山大学をでて北陸電力に就職すると親戚一同胸を撫で下ろす。
僕は長くそんな人生観を持っていた。それは選ぶことのできない周りの人だった。それによりそんな価値観になっていた。
しかしちょっとした同級生の話からのノリでジャズを学ぶために東京にきて、仕事をするようになり自身で関わる人を選ぶようになった。そうすると、こっちの方が良いんじゃないかと考え方が変わっていった。
どっちが良いかはないかもしれないが、僕はそれくらい周りにいる人によって価値観は変わっていく。だからライフスタイルに関わる人にはどうしてもはっきりいう、あなたが僕にとって大切だから。
こんなつらつら色々書いてるが、実は世の中のことで誰かが必ずやらなければいけない仕事なんてないのではないか、とも思っている。エジソンが開発しなければ蓄音器はできなかったとは思わない。実際ベルリナーも作っていたし、こっちの円盤型が主流になった。
大きな大きな世の中のうねりの中で目には見えない動きの中で世の中は自然と発展していく。誰かがやらなくても他の人がやる。そんな考えを持っている。
人生に意味はないとも思っている。意味を考えるより今を生きた方が有意義だ。それでも自分は「なんで生きるのか?」の問いに勝手に答えを作っている。「世界が二つあるとする。僕のいる方の世界で僕に関わった人は、僕がいない世界の人よりほんのちょっと幸せになっいて欲しい」。
生きる意味はないから、自分で勝手に作った意味だ。これにも意味はない。きっと僕がちょっと幸せにしなくても誰かがもっと幸せにする。
僕しかできないピアノを弾く仕事はないかもしれない。自分で理論から作って構築した和風ジャズという音楽。世界で僕しか弾けないし、作れないと自負できる。しかしそれでも誰かが使っただろうし、もともと必要ないものなら作られすらしないのかも知れない。人生は「絶望的な余計なお節介」をしながら生きていると思っている。
和風ジャズ↓
そんな中でも欲しいものが一つある。ライフスタイルに関わるものは変数より実数が欲しい。しかし僕は変数になりたいと思っている。そうなるときっと世の中にとっては、その問題解決にとってはあなたになれるかも知れない。
誰かのフレームになりたくはない、と思いながら世の中のとってものフレームには変数になってありたいと思う。そんなことを考えながらこの矛盾に心地よくなっている僕は、きっと「絶望的な余計なお節介」に何か可能性を感じているのかも知しれない。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓
日々のつぶやきは、
毎日ジャズピアニストかねこ