先日久しぶりにライブをした時に感じた懐かしさに関することについてのブログを書いたのですが、それを頭の整理に書いていたら数年前に実家に帰った時に感じた懐かしさに関する感覚の考察を思い出しました。
故郷というものは場所ではなく感覚かもしれない、というものです。今回はそれについて頭の整理に書いてみたいと思います。
ところで、僕は毎年実家に帰る人ではありません。ネットや動画で通話もできる時代に顔を見せるために時間を使って帰る、という理由がしっくりこないためです。そうなると他に理由がないため、帰る理由があまりありません。
母の日や父の日、誕生日などに贈り物をしたりはしますが(最近わすれてる…)、兄弟が毎年子供を連れて帰ってるので、僕は良いかなと、思ってます。ちなみにそちらは贈り物はしないそうです。二人合わせて一人分な感じです。全部は出来ないものですね。発想が似ているのかも。。
この辺りは色々解釈はあると思いますが、僕はそんな感じになっています。
2〜3年ほど前に十数年振りに実家に帰ったことがあります。理由は地元で活動する人と東京で知り合い、ジャズ演奏のゲストで出演することになったからです。十何年も帰ってなかったのでちょうどよい、と思って帰りました。
学生時代に実家に帰った時は深夜バスで帰っていました。朝に着いてそこから歩いて帰る、ということをよくやっていました。今回もそうしようと、朝方になりバス停について、そこからあの時のように歩いて帰ろうと実家に向かいました。
自分でもびっくりしました。18歳まで毎日のように歩いてた道を全く覚えていませんでした。なんとなく方向を頼りに歩いていくがもはやあっているかわかりません。地元でGoogle マップを使うことだけは避けたい僕はスマホをオフにしてなんとか歩き出します。
記憶に残っている建物の6〜7割くらいはなく、残りは忘れているのかもしれない、その景色は僕に「今どこにいるんだろう」と地元なのか新しい土地なのかフロンティアなのか、不思議な感覚を与えてくれました。
そんな今どこにいるかわからない中、なんとなくの雰囲気の中に、高校時代に女性と遊んだあの百貨店があった場所に近付いてるのがわかりました。
ほとんど記憶にないなかその方向へ向かい、トンネルを向けて、その時の女性の名前はすっかり忘れてしまったけど、確か水曜日が休みのあの百貨店の名前は覚えている。サティ。さぁ、久しぶりのご対面!
ホームセンター「ムサシ」。。
ホームセンター「ムサシ」に変わっていました。残念でした。懐かしさはなく新しい場所になっていました。僕はいつ懐かしさを思い出せるのか、実家に向けて歩き始めました。しかしどんどんわからない方向になっていくし、みたこともない景色になるので、ついにGoogle マップを使うことにしました。
それに沿って実家まで帰っていて途中で知っている店がありました。高校時代にライブをやった後に行くお好み焼き屋さんとラーメン屋さん。しかしほとんど記憶になく周りの景色が変わっているためか特に懐かしさはありませんでした。
実家の近くにきても特に懐かしい感じもなく、ほとんど景色が変わっており、さらに変わっているのかもとからそうだったのかもわからないくらいに、なっていました。そして、極め付けは実家。
さぁ、着いた!と思ってみたら、「え、この家誰の家?」。外見が少しリフォームされており、記憶にあった家ではなくなっていました。
そんな感じで多くのことが懐かしさを感じるというか、新しい体験のような、新しい街にいったようなそんな実家への帰省でした。
近くの学校はそのままだったので、懐かしさもありましたが、たとえ変わっていても場所の多くの部分が残っていたり記憶にある程度一致したり、変化の過程を記録されていたりすると懐かしさを感じると思いますが、場所が変わっており記憶もほぼなくなっていて、残っている記憶もあっているか怪しいという感じでした。
そのトリガーにあの時の景色はとても有効だと思ったのですが、そこにはありませんでした。違う土地で故郷を感じることがあるのは、目の前の景色と過去の記憶の景色が似ていることで、そこから記憶のトリガーが引かれて過去の感覚を思い出す、その感覚が懐かしさと表現するためだと思います。
この定義だと場所よりはその人がそう感じるかどうかが非常に大事になります。そのためそう感じるための演出が細かい施されていれば違う土地でも十分に感じると思います。
そして記憶の景色が曖昧になっており、変化も記憶されておらず、目の前の景色も変わっている状態では故郷と認識するのは難しいのだなと思いました。
逆に考えるとこれらをすると故郷はその人の中に作ることができるのかもしれません。
東京生まれの人に話すと「故郷があっていいなぁ」と言われることがあります。しかし僕の考えでは故郷とは一定の条件下での感覚なので、それを満たせばきっと故郷は新たにその人にできるのではないかと思います。
思い出す作業がとても重要になるのでいつもいると懐かしさは感じれない。だからある程度一定の期間は離れないといけないと思いますが、きっと1年や2年では得られない感覚が故郷という感覚なのだと思います。
それだけに非常に貴重な体験かと思っています。なんでも情報でサクッと得られることができる現在、懐かしさ体験は非常に価値があります。もちろん多くの人が体験していることではあると思います。
しかし、こうやって自分で考察してみると懐かしさは条件を満たせば誰でも作ることはできるとは思いますが、それだけに非常に価値から高いと思いました。誰でも作れるが時間をかけなければ作れません。1年や2年ではその体験情報はキャッチアップできません。
何度も目から入れて記憶した情報を一定の期間を開けて、再度目から情報をみた時に以前より大きく変化をしていない状態で(重ね合わせるできる範囲)、それを脳内の情報と重ね合わせるをすることで懐かしさを感じる、という特殊な体験は、再現性の難易度は高そうです。
これだと出張しただけの場所には懐かしさは感じれません。しかし何度も定期的に長い期間出張して、変わり続ける世の中であまり変化しない場所だったらありえそうです。
いつも旅行や出張ではなぜ故郷にならないんだろうと思っていたことが、今回の頭の整理ですっきりしました。そのためどこかに一回や二回旅行に行っただけでは得られない懐かしさ体験は再現性の難易度から体験できるならしておいた方が良いなぁと思っている今日この頃です。
なので近々地元に帰って今度こそ懐かしさをたくさん感じる場所巡りをしてみたいと思っています。こんな世の中そんなことを感じることが高い価値を作る、そう思っているかねこです。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓
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毎日ジャズピアニストかねこ