楽しくマイペースに好きなコトをやりたいと思っていてジャズピアノを弾いたり、アート表現として独自理論で和風なジャズを作ったり弾いたりしてます。
本当にやりたいコトが見つからない、ってのはどういうコトだろ?って自分がわからなかった頃からの行動した流れから考えると、やりたいことは完璧な一つのものじゃなきゃいけない、っていう考えからきている、と思いました。
心から本当にやりたいと思えることが見つからない、そんなことがあった。
「一つじゃなきゃいけない」、そんな考えで今やっていることがあるのに他に踏み出せないでいた。
今やっていることが流れでやっていたりもする。そんな中、ほかに少しでもやってみたいな、と思うと中途半端が嫌で踏み出せない。今やってることも中途半端かもしれないのに、なぜかすでにやってるからか、受け入れてしまう。
好きな人と2人と結婚することは民法でできないが、好きなことはいくつでもやって良い。それが「遊び」でも「本気」でも構わない。この事実は積極的に受け入れたい。
恋と好きなコトを比べるのは変かもしれないが、一番わかりやすく心の動きを学べる。
昔の僕は、どうやら先に何かを始めるよりは、心の動きを優先しなければいけなかったらしい。
本当に好きなものは「心から大好き!」と情熱や想いのようなものが自身に疑いの余地のないくらいに「行動より先に」湧き出てからようやくそれを始めれる、と思っていたみたい。
振り返れば、僕は人を好きになる時に、隣の席で何気なく話をしてたり、友達と良い意味でなんとなく付き合う事になり、好きという気持ちが育っていった。
仕事でも、配置されたところを一生懸命やったら自身の粋がい、突き詰めたいことに変化していった、そんな経験は多いのではないだろうか。
もちろん想いが先立ち情熱的に燃え上がる始まりもあると思う。しかし再現性があるのは前者であるのは自身の経験。
みんなどうなんだろう。。喋ってもない、行動してもない状態で想いが先立ち、そして想いが一致して、心から好きな人として、付き合ったり結婚に進んだ人が圧倒的に多いのだろうか。
好きなことはやっているうちにだんだん心からやりたい好きな事に育つ。
そのためには何でも良いから始めるしかない。好きじゃない事もやってみる。そうじゃなければ心から好きと想えることが育たない。
想いが先にくることも「好きなことが見つからない」と思っているだけでは「想い」もあなたの元へ行きにくい。何かきっかけがないと想いは生じない。
もし瞑想でもして情熱的に想いが悶々とするなら考えてるだけで好きを見つけるのも良い。が、それは瞑想すらうまくいってないのでは、と思う。
どちらにしても、好きなことじゃなくても頭に浮かんだ今やってないコトをやってみる、のが良い方法のように、想う。
「心からやりたいただ一つの絶対的なもの」を見つける有効なトレーニングは、好きでもない、嫌いでもない、頭にふと浮かんだコトをやってみること。
明日「焼肉を食べたい」。そう思ったりしないだろうか。「1日の始まりはおしゃれにカフェから始めてみようかな」。「ディズニーランドに行きたい」。1人でいくのも意外と良いかもしれない。そんなところに何か隠れてたりするかもしれない。
頭に浮かんだコトで簡単なことからやってみる。こうすると、「好きなコトは一つしかないといけない」「絶対的に心から好きなものにしか手をつけてはいけない」という思い込みが薄れていく。
簡単なことから始め、そのうち少しずつ手のかかるコトなどに手を出したりする。その過程でやってみたいコトをやる、ということに慣れていく。
そしてその好きでもないけれども、嫌いでもない、頭に浮かんだ簡単に出来ることをやってみてるうちに、手のかかるやってみたいことに手を出し、それにてこずってる間にそこに愛着出てきて、やりたいことが気づけば少しづつ好きなコトへと変化していく。
最初は好きなコトと気づかないかもしれない。なぜか、手間をかけて作ろうと思ったり、そして動画を撮ってみようと思ったり、気付けば手間をかけている。
その時思ったりする。「あ、好きだな」。
きっと心からやりたいコトってそんなふうにできていくのかもしれない。
少なくても好きな人は遠い昔、僕はそのようにできた。今はジャズピアノ…笑
毎日ジャズピアニスト。毎朝6:30〜コーヒー好きな演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル
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和風ジャズピアニストかねこ