この夏はかき氷をなるべくたくさん食べることに情熱をそそいでるかねこせんせーです。こんにちはです。
ところで最近「知識は"点"ではなく"線"でもつことが大事」も思ってます。きっかけはコロナ禍くらいからマイブームになってる歴史です。でもなぜかわからず。けど必要だなと。その"なぜ"が毎日の配信で話してたら「言語化できそうかも?」と思ったのでnoteに書いてみたいと思います。テーマは点と線の知識です。
"点"で持つ知識
知識を"点で持つ"とは何か。
今回、点で持つ知識の例にピアノ教材でお馴染みの「バイエル」を使いたいと思います。
バイエルは昔から日本でお馴染みの子供用のピアノの教則本です。ところが最近はバイエルを使わずバーナムやバスティンを使う先生が増えてます。
なぜ?と講師に聞くと、これらは難易度が緩やかに上がるよう調整されており、モチベーションを保つ工夫もされてます。それにバイエルは途中で途端に難しくなるから使いにくいのだそうです。
知識を点で持った後のバイエルの評価は『昔からのピアノ教材のバイエルは今の時代に合わずダメで、バーナムやバスティンは良い』となりそうです。
では今度は知識を"線"で持ってみます。
バイエルがピアノ教則本を出したのは1850年。これ以前にすでに有名なピアノ教本がいくつかありました。
(ピアノができたのが1700年ほどなのでそれ以降のもで、著者名のみ記事テーマを優先して簡易に取り上げます。)
1753年 エマヌエル・バッハ
1765年 レーライン
1804年 ミュラー (レーライン本 改訂版)
1850年 バイエル
1750年以前も教則本はありましたが、経験者の母親が子供に教えたり、レッスン室のみでの講師独自の経験・指導法なども多かったようです。
そんな時代にエマヌエル・バッハが書いた本は革命的でした。レッスン室での専門的な内容の本を出したのです。本を読めば専門家の知識に触れることができるようになったのです。この教則本は楽譜は少なく文字がほとんどでした。一言でいうなら「音楽知識の本」といえます。
そして、1765年にはレーラインが新たな革命を起こします。上記のエマヌエル・バッハの本は良書でしたが専門的であり内容はほぼ文字でした。ここに注目したレーラインは初心者向けに、文字を減らし、基礎を学ぶ曲を作り、楽譜を中心にした本を出しました。一言でいうなら「音楽知識と基礎曲の本」といえます。
そして1804年にはミュラーが文字情報は引き続き少なめに、曲(基礎)もあり、さらに指練習曲(テクニック)を追加した本を出します。こちらは「音楽知識と基礎曲とテクニック曲の本」といえます。
そして1850年にバイエルが教則本を出します。文字数をさらに減らし必要最低限にして、基礎曲は片手ずつ始められるようさらに難易度を緩やかに、指の練習曲も調整しました。ミュラー本に大幅なアップデートを施した現代に続く教則本の始まりとも言える内容になりました。
そして当然バイエル以後も教則本は出ます。
1901 エルネスト・バンド・ベルド(メトードローズ)
1937 トンプソン
1950 バーナム
1963 バスティン
バイエル以後の教則本をみると、それ以前の内容をアップデートしたり、基礎とテクニックを分けて本を書いたりなど、以前のものを参考にして工夫した内容になっていってます。
そういった数々の著者のアップデートの末にバーナムやバスティンといった現在の教則本があります。
さて、いま知識を線でもちました。そうするとバイエルへの評価は「多くの著者の文脈の中で作られた作品」ということがわかります。
点で持った場合は、点同士で比べるしか方法はありません。双方を理解する間の知識がないためです。そうなると「バイエルはダメ、バーナムは良い」という「優劣型」になります。
線で持った場合は「バイエルなどの教則本を参考にして作られたのがバーナムやバスティンである」という文脈型になります。
文脈型の知識の持ち方をすると、自身の考え方のアップデートにつながります。例えば「新しいものを見つけるために過去のものをしっかり勉強してみよう」などです。
優劣型は、点同士を比べて優劣をつけることで良いものを一つ作ります。お手本が存在してわかりやすくなる一方で、悪い方の知識を参考にはしません。そして悪い知識のためにその周辺の知識も手に入れません。
ここまで色々書いてみましたが、知識を線で持とうとすると間を埋めるための情報が必要になります。点と点を繋ぐ情報。その情報を得るために歴史が大事ということだったのだと気付きました。
そして、どんな点の情報に対しての線の情報を得るかによって知識の種類は枝分かれしそうな気もしてます。ここに関してもぼんやり思っていることがあるので別の機会に書いてみたいと思います。
ここからは未来の知識の持ち方について考えてみます。私は過去の知識の持ち方は点だったと考えてます。「答えは一つ」や「善悪」で物事を考えるのは昭和の文化をみてるとしっくりくるためです。そして現在は線で持つことが大切と考えます。ではこの先は?
この先は知識を"面"で持つこと。面とは立体的。立体的な知識とは「行動に反映されるような知識」です。
これがこの先大切な知識な持ち方になってくるのではないかと思います。この持ち方や学び方について現状ではテンプレートはないかと思います。強いて言うなら歴史と哲学や死生観がヒントでは?と現時点では思ってますが言語化できません(特に哲学…)。
私は今回のバイエルの知識を面にしたいと考えてます。具体的にはこのバイエルを通して知った教則本の歴史を踏まえて、ジャズピアノでもこのようなものを作ってみたいと思っています。(今少しずつ作っており、生徒様からフィードバックをもらっています。)
これが面での知識の持ち方の正解か分かりませんが、私はこういった形で点から線、線から面へと知識を変化していきたいと思います。
さて、どのようになるか…。
いつかレッスン室で会いましょう。またね。
⚪︎今回参考にした素敵な本達
安田 寛
バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本
小野亮祐、安田 寛
バイエルの刊行台帳
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